語る時に起きていること | チエでつながる, ワザでつながる、ココロでつながる、価値を生みだす           ~ 物語思考が世界をかえる

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この世に生まれて間もなく、人は「ものがたり」と出会い、そこで広い世界とのつながりを作ります。このblogでは、「ものがたり」と共にある人の可能性を探求していきます。

 

 

 

ストーリーテリングは

自分のウチ側に起こる対話の

可視化プロセスとも言えます。

 

アフリカ駐在の時に、

日本人補習校の運営を巡って、

時の大使と対立したことがありました。

(私は日本人会の補習校担当でした)

 

一部の子供たちを

学校から排除しようとする“御意向”に

「反対」を表明したもので、

当時の自分としては譲りたくないテーマでした。

 

“正義”は自分の側にあると確信していたし、

声は上げずとも、

共感してくれる人は少なくありませんでした。

 

とはいえ、商社の駐在員という当時の立場を考えれば、

大使との対立は当に愚の骨頂でした。

 

自分の中には大きな葛藤が起こり、

折れるか、戦うか、悩んだ末に

最終的には“正義”を選択して大使の逆鱗に触れ、

 

日本人会全体、そして最後は本省までを巻き込んだ

2か月間の抗争の挙句、

最後は大使に帰国命令が出されて、決着しました。

 

折れるか、戦うか。

“バカなことはやめとけ、すいませんの一言で納めろ”

と言う声と、

“正義を譲るな、絶対に負けるな”という声が

自分の内側で、ずっと戦っていました。

 

“やめとけ”の声は、かつての自分の上司の声みたいでした。

正体がイマイチ不鮮明だけど大きな声でした。

そして“負けるな”の方は-こっちは明らかに-

自分の父親の声でした。

 

当時父とは色々と確執もあり、あまり連絡もとって

いなかったのですが、

このときばかりは、

父親というウチにある強力な援軍を感じたものでした。

 

“企業人”として無難にコトを収めようとする自分と

“父親から正義を学んで成長してきた“自分との

葛藤が、先輩、父親の声になって

自分の中でぶつかり合っていたのでした。

 

“企業人”として生きる自分には、

企業人としてのストーリーがあり、

その延長上にはそこに相応しい(と思われる)選択があります。

 

ここでは、そこに相応しい選択が

幼少から築かれてきた自分のストーリーと衝突を起こし、

最後は“企業人の自分”が一歩退いた形で終結したのでした。

 

こう書くと、自分の中で白黒をはっきりさせたかの様ですが、

この時自分がやったことは、

自分には多くの隠れ支持者がおり(これは真実です)、

そのことが自社のビジネスを守り、

会社の為に必要な行動だった、という

社内で自分を正当化するストーリー作りでした。

(結局公表しませんでしたが)

 

それは“言い訳づくり”というより、

自分の内側で衝突していた2つのストーリーに、

“折り合い”をつけていた、と言う方が正しそうです。

 

自分を守るためにそう考えるしかなかった、

とも言えますが、

自分の中で衝突してしまった2つの自分を両立させる

新たな“自分づくり”をしていたのだと

言うことも出来ると思います。

 

以上は、あるストーリーテリングの場で

自分が語った『過去の葛藤体験』です。

 

その時は勿論必死でしたが、

改めてストーリーとして語ってみることで、

自分の内側に起きていたことが、こんな風に

「見える化」されたのでした。

 

語ってみて、

ああ、そういう事だったのかと、分かったことで、

一歩“自分らしい”生き方に

近づくことが出来ているのだと思います。