かつて、ここ横浜の地にあって、
マリノスの好敵手であった横浜フリューゲルス。
1999年に消滅したそのクラブのことは、
いまだにあちらこちらのページで知ることができる。
おれが語るのは、マリノスファンから見たフリューゲルスだ。
マリノスとフリューゲルスのダービーは、
ほぼ五分五分の成績だった。
ひとつ勝つと次に負けた。
なかなか連勝することができなかったし、連敗は許さなかった。
おれの主観だが、ダービーの時はたいてい、
その時に調子のいいチームのほうが敗れていたような気がする。
特に印象が強いのが、
(このときは調子云々ではわけではなかったが)、
1998年の横浜国際競技場での開幕戦だ。
これは、この年にオープンした横浜国際競技場、
Jリーグのこけら落としとなる一戦で、
マリノスのホームゲームだった。
この記念すべき日、
試合前に、映像やパフォーマンスによる、
当時としては、空前の派手なオープニングショウが繰り広げられ、
場内の雰囲気は、完全にマリノス一色に塗り潰された。
(演出上の話)
マリノスが当然勝つでしょうというムードだったが、
延長Vゴールで意地を見せたのは、
フリューゲルスの佐藤一樹だった。
とにかく、逆境にあっても、
この相手にだけは負けたくないという強い意志は、
両チームの戦績に現れていた。
そんなフリューゲルスに対するおれの思いはどうだったか。
もちろん、ダービーでは絶対に負けたくない。
フリューゲルスより下の順位ではいたくない。とは思っていた。
当たり前の話だ。
しかし、
決してフリューゲルスを必要以上に嫌悪していたわけではない。
フリューゲルスが、V川崎や鹿島など、他クラブと対戦する時には、
普通にフリューゲルスの勝利を願っていた。
これは、
ひとつにはフリューゲルスが、
敵ながら尊敬に値する強いクラブだったからであり、
もうひとつ、その頃はまだまだJの黎明期、同じ横浜で、
Jリーグを盛り上げている仲間という意識があったからだろう。
ところで、当時のマリノス応援席は、硬派かつストイックといった印象で、
アルゼンチン流の紙吹雪以外は派手な仕掛けもなかった。
一方のフリューゲルス側は、明るい白のユニフォームで、
ブラジル仕込みの陽気なサンバで応援と、全く対照的だった。
おれ自身は、言うまでもなく、
当時から、どう見てもマリノス側にマッチした人間なのだが、
それでもダービーのときなど、
”世が世なら、おれもあちら側で女子に囲まれて楽しく応援していたかも…”
と夢想したこともあることを、告白しなければならない。
フリューゲルスの消滅、
マリノスへの合併が発表されてからのことはいまさら言うまい。
思い出深いニッパツ三ツ沢球技場で、
たとえひとときでも、Fが蘇るのを楽しみにしている。