宿敵!それはF | fc2 yokohama リターンズ    ★★★★★

 かつて、ここ横浜の地にあって、

 マリノスの好敵手であった横浜フリューゲルス。

 

 1999年に消滅したそのクラブのことは、

 いまだにあちらこちらのページで知ることができる。



 おれが語るのは、マリノスファンから見たフリューゲルスだ。


 
 マリノスとフリューゲルスのダービーは、

 ほぼ五分五分の成績だった。

 

 ひとつ勝つと次に負けた。
 

 なかなか連勝することができなかったし、連敗は許さなかった。



 おれの主観だが、ダービーの時はたいてい、

 その時に調子のいいチームのほうが敗れていたような気がする。

 


 特に印象が強いのが、

 (このときは調子云々ではわけではなかったが)、

 1998年の横浜国際競技場での開幕戦だ。

 

 これは、この年にオープンした横浜国際競技場、

 Jリーグのこけら落としとなる一戦で、

 マリノスのホームゲームだった。

 

 この記念すべき日、

 試合前に、映像やパフォーマンスによる、

 当時としては、空前の派手なオープニングショウが繰り広げられ、

 場内の雰囲気は、完全にマリノス一色に塗り潰された。

 (演出上の話)


 マリノスが当然勝つでしょうというムードだったが、

 延長Vゴールで意地を見せたのは、

 フリューゲルスの佐藤一樹だった。



 とにかく、逆境にあっても、

 この相手にだけは負けたくないという強い意志は、

 両チームの戦績に現れていた。

 


 そんなフリューゲルスに対するおれの思いはどうだったか。

 もちろん、ダービーでは絶対に負けたくない。

 フリューゲルスより下の順位ではいたくない。とは思っていた。

 当たり前の話だ。

 

 しかし、

 決してフリューゲルスを必要以上に嫌悪していたわけではない。

 

 フリューゲルスが、V川崎や鹿島など、他クラブと対戦する時には、

 普通にフリューゲルスの勝利を願っていた。

 

 これは、

 ひとつにはフリューゲルスが、

 敵ながら尊敬に値する強いクラブだったからであり、

 もうひとつ、その頃はまだまだJの黎明期、同じ横浜で、

 Jリーグを盛り上げている仲間という意識があったからだろう。

 

 

 ところで、当時のマリノス応援席は、硬派かつストイックといった印象で、

 アルゼンチン流の紙吹雪以外は派手な仕掛けもなかった。

 

 一方のフリューゲルス側は、明るい白のユニフォームで、

 ブラジル仕込みの陽気なサンバで応援と、全く対照的だった。
 


 おれ自身は、言うまでもなく、

 当時から、どう見てもマリノス側にマッチした人間なのだが、

 それでもダービーのときなど、

 ”世が世なら、おれもあちら側で女子に囲まれて楽しく応援していたかも…”

 と夢想したこともあることを、告白しなければならない。



 フリューゲルスの消滅、

 マリノスへの合併が発表されてからのことはいまさら言うまい。


 
 思い出深いニッパツ三ツ沢球技場で、

 たとえひとときでも、Fが蘇るのを楽しみにしている。