18年 生きていればこそ | 医食同源 byりさ

18年 生きていればこそ

脳幹部海綿状血管腫、全摘出手術から18年。

お誕生日以上に、
一年や過去を振り返る日。


自分のブログも読み返したりして。
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手術を受けた19歳のとき、
誰にも言えない気持ちを”書き殴って”いたメモ帳。
年に一度、何となく読み返す。


術後主治医から
「りさ、りさがこうして生きてることが奇跡なんだよ。」
と言われた日。

手術の難しさを知っていたから、
成功したことがキセキだと、
頭では分かっても、心もからだもどうしようもなく苦しくて。

このまま消えてしまえたら、
みんなを悲しませないように、みんなの記憶からも消えてしまえたら、
楽になれるかなと思った。

 





麻痺した右目が動かないことを何度も鏡で確認しては泣いた。
温痛覚がおかしくなった足にシャープペンを刺したこともあった。

19歳。
未来に思いを馳せる余裕なんてなく、
入院で遅れた勉強を取り戻すのに必死。


泣いては勉強し、勉強しては泣き。
でも一方で勉強できるということが、
どれほどしあわせなのかを知っていた。

泣き疲れると強くならなくちゃと
と自分で自分を奮い立たせる毎日。




当たり前のように学生生活を送る友人たちがいつも羨ましかった。
私には与えられなかった普通の日々。

羨ましいを通り越して妬ましく思ってしまい、
そんなことを思う自分に嫌悪感を持って余計落ち込んだり。

家族や友人がどれだけ心配してくれているか分かっていたから、
その分悲しさや辛さを打ち明けられる人がいなくて、いつも孤独だった。

今だったらネットで同じ病気の人のブログを読むことも出来て、
きっと勇気付けられたんだろうな。



手術前から諦めるよう言われていた右目、
術後「良くなるかもしれない」と言われ、
希望を持って過ごした半年間。





複視で両目だと見えないので、いつも右目をつぶって勉強した。
でも希望があったから辛くはなかった。

半年が経ち、麻痺が回復せず眼科を受診したら、
「半年経って動かないと言うことは、
神経回復の見込みがないと言うことです。」
とあっさり言われた。

札幌医大からの帰り道、
空も街路樹も色を失い、モノクロに見えた。

母に何て報告しよう。
その夜、精一杯平気なふりをして電話した。

半年後、目の手術を受けた。





手術から1年3か月、
卒業できそうかなと思い始めた頃。

長いことお腹の底から笑えたことなんてなかった。


真実じゃなくて現実じゃない?って毎年ツッコミたくなる(笑)



見守っていてくれた人がいたと知った日。




この後も何度も苦しいことがあったけれど、
やっぱり試練は「乗り越えられる人にのみ与えられる」のだと思う。

あのときがあったから、
何があっても乗り越えた先にある幸せを思って頑張れる。

今は病気を経験して良かったと思っています。

良いことも悪いことも
生きていればこそ。

生きているって素晴らしい。
歳を重ねられるって本当にしあわせ。





同じ病気で今大変な思いをされている方がたくさんいらっしゃいます。
ブログ を拝見していると色々なことを思い出して胸が苦しくなったり。

でもきっと笑顔で過ごせる日が来るはず。
何もできないけれど、応援しています。
心から。
力いっぱいに。


また星野富弘さんの詩を声に出して読んでみる。
毎年感じることが違うから不思議。






暗く長い土の中の時代があった
いのちがけで芽生えた時もあった
しかし草は
そういった昔をひとことも語らず
もっとも美しい今だけを見せている



全編はこちらの一番下に。⇒Click




私もただただ幸せに生きて来た人に見えたらいいな。
19年目も大切に生きます。

 

 

 

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