中世インド史を変化させたもの | Grünberg

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こんにちは。

高校の世界史選択で、ヴァルダナ朝以降の中世インド史って触れられませんよね?

それもそのはず、ヴァルダナ朝崩壊後のインドはラージプート諸王国の分立する戦国時代になるからです。

主な勢力は西インドのプラティハーラ朝、東インドの最後の仏教王朝パーラ朝、デカン高原の雄ラーシュトラクータ朝です。

これらの他にも小王国が分立し、合従連衡して争っていました。

この状況を変えたのがイスラム勢力です。

今のアフガニスタン辺りにあったガズナ朝は、三王朝の衰退に合わせて盛んに北インドへの侵入を繰り返し、ついにはマフムードがプラティハーラ朝の首都カナウジを陥とします。

次のゴール朝も侵入を繰り返し略奪したりしましたが、両王朝とも内部抗争で北インドに橋頭堡を築くことは出来ませんでした。

奴隷王朝に至り、北インドはイスラムの勢力下に置かれます。

一方で南部は、ラーシュトラクータ朝を倒したチャールキヤ朝の滅亡後、パーンディヤ朝やホイサラ朝、カーカティーヤ朝などの諸王国が激しい抗争を繰り返します。

北部を支配したハルジー朝、トゥグルク朝も南部に食指を伸ばし、それらの王国を倒して一時的に支配権を得ました。

しかし、トゥグルク朝からの独立運動を起こしたヴィジャヤナガル王国が建国されるに至り、北部イスラム王朝は南部の支配権を喪失。

続くサイイド朝、ロディー朝は南部の支配権を得るには至りませんでした。

以後インド南部は独自のヒンドゥー文化が花開くことになりました。

やっぱり、いつの時代も変革は外圧ですね( ´∀`)