「先の戦争」といえば戦後日本では「大東亜戦争」のことを指すが、
近年まで会津では「戦争」といえばそれは「会津戦争」のことを意味した。
それは、会津自身が総力戦を展開したことによる幾多の悲劇を味わったことによるだけでなく、
長州・薩摩、そして土佐の、特に長州人による信じられないような非道な、残虐極まりない蛮行に大きな原因がある。
籠城戦が終った会津城下、領内で長州藩兵などが行った、とても人間が行ったとは考えられない残虐非道な行為の記憶は、
簡単には消えないものである。
昭和六十一年、長州・萩市が「もう百二十年も経ったので」
として議会決議をして会津若松市と友好都市関係の締結を申し入れたが、
会津は「まだ百二十年しか経っていない」としてこれを拒絶した。当然であろう。
「始末」は、まだ済んでいないのだ。「始末」とはどういうことかについては、紙幅があれば後で触れたい。
筆にすることも気が重いが、長州が「奥羽鎮撫」の名において、
「官軍」の名において行った数々の醜悪な犯罪のごく一部に触れておく。
<中略>
「会津に処女なし」という言葉がある。
会津の女性は、ことごとく長州奇兵隊を中心とした西軍のならず者に強姦されたということをいっている。
前出の、会津戦争史を多面的に検証されている会津歴史研究会の井上昌威氏が、
「会津人群像二十六号」に「会津にある小梅塚」と題する一文を寄せておられる。
氏は、膨大な文献を調査するだけでなく、会津各地に伝わる伝承、遺跡なども地道に調査し、
会津戦争の実態を立体的に整理されている点で、その成果は高く評価されるべきである。
会津領内の女性が如何に残酷な被害を受けたかについては、この井上氏の検証結果を参考にさせていただく。
山縣有朋が連れ込んだ奇兵隊や人足たちのならず者集団は、山縣が新発田へ去っていたこともあって全く統制がとれておらず、
余計にやりたい放題を繰り返す無秩序集団となっていた。
女と金品を求めて村々を荒らし回ったのである。
彼らは、徒党を組んで「山狩り」と称して村人や藩士の家族が避難している山々を巡り、強盗、婦女暴行を繰り返した。
集団で女性を強姦、つまり輪姦して、時にはなぶり殺す。
家族のみている前で娘を輪姦するということも平然と行い、家族が抵抗すると撃ち殺す。
中には、八歳、十歳の女の子が陵辱されたという例が存在するという。
高齢の女性も犠牲となり、事が済むと裸にして池に投げ捨てられたこともあった。
要するに、奇兵隊の連中にとっては女性なら誰でも、何歳でもよかったのである。
坂下、新鶴、高田、塩川周辺では、戦後、犯された約百人に及ぶ娘・子供のほとんどが妊娠していた。
医者は可能な限り堕胎をしたが、それによって死亡した娘もいたという。
月が満ちて生まれてきた赤子は、奇兵隊の誰の子かも分からない。
村人たちは赤子を寺の脇に穴を掘って埋め、小さな塚を作って小石を載せて目印にしたのである。
村人は、これを「小梅塚」とか「小塚」と呼んだ。
乳が張ってきた娘や子供は、自分の「小塚梅」に乳を搾り与えて涙を流していたという。
井上氏は、実際にこの被害に遭った八歳の女児の末裔の方にお会いして直接話を聞くなど、
各地を回って伝承や記録を精査されて、奇兵隊の蛮行の一部を明らかにされたのである。
明治維新という過ち
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