一日ごとに事の重大さが重くのしかかってきて、どうにもやりきれません。運命には逆らえません。自然にはかないません。神様なしでは生きられません。自分の無力さが募るばかりです。ハレークリシュナ
ワシントンDCに事務所があるフードフォーライフ・グローバルに日本の記事が掲載されました。この団体はハレークリシュナ運動のひとつ、いろいろな場所でプラサーダムを配って支援してます。今回は果たしてどれくらいの支援ができるかわかりませんが、今、個人的に連絡をとっているところです。

http://www.ffl.org/

こういった日常と違った局面が人々の前に現れると、その人の心の思いが行動に浮かんできます。お寺で寄付を募っていると

そこには何もないようなふりをして単に通り過ぎていく人。
ちょっと会釈して去っていく人。
まったく寄付とは関係ない話をはじめて立ち去っていく人。
津波の話をはじめてそれで終わる人。
身内の状況を聞いてくる人。
発電所のことを話し出す人。
さっと現金を渡して去る人。
小切手を切りながら明るい感じで「ありがとう」
とても申し訳なさそうに寄付をくれる人。
「ここで寄付はしないで」と言ってくる人。

全然同じではありません。みんな捉え方が違うんですね。その人の行為が自分の未来をつくります。
昨日、シュリーヴェンカテシュワラ寺院にて日本のための儀式が行われました。頼んだわけでもなく、集まったのはもちろんインド人ばかりですが、ありがたいことです。近くの僕らの寺院は、、、僕が寄付を集めようとしたら一度断られました。その後なんとか話して了解をとりつけましたが、その人に対する信頼性は完全に消えました。

緊急事態でたぶん今は現状把握と現地の方々の保護だけで大変だと思いますが、朝日新聞のサイトでは原発のニュースが多くアップデートされてます。子供の頃は学校で時々避難訓練が行われてました。役に立ってるといいけど今でも続いているのかな。

今まであんまり考えてませんでしたが、日本は地震と火山の国でみんな「いつか大地震が来る」「富士山が大爆発する」とある程度、認識を持っていると思うのですがそういう土地に55ヶ所?の原発を作ってきたトップの方向性が理解出来なくなりました。いつになったら人の傲慢性から解放されるのでしょう。現代生活に「電力」は欠かせませんが、単に増えていく電力消費に追いつくことばかりがすべてではないでしょう。きらきら光る夜のネオン広告なんて本当に必要ですか?車の通らない道路に昼間のように照らされるランプ必要ですか?こっちでは夜の走行に頼りになるのは自分の車のライトだけです。どこでも見かけられるギンギンに冷やされたコーヒーを売ってる自動販売機、僕が飲んだらたぶん胃けいれんを起こすでしょう。冷房、、、中には暑さに耐えられない体質の人とかいますから場合によってまちまちですが本当にその温度でないといけないのでしょうか。インドで乗った冷房車の寒いこと、全然寝られませんでした。野球場で照らされる光、一体どれだけ消費しているのか?本当に生活に必要なのですか?日本全体でどれだけの電気がどのように消費されているのか知りませんが、人が生きていくために、本当に、本当に、必要なのですか?そのためにどれだけの犠牲が払われているのか知る良い機会かもしれません。きっと上の方々は言うでしょう。

「これだけの準備を整えているから、原発は安全です。」
「原発を誘致すればこれだけの利益が得られます」

生活の向上と言っても単に自分の感覚を満足させることは無理です。欲望にはキリがありません。
自然の大きな力の前には僕らはなす術はない、といつになったら理解できるのでしょうか。
「ちから」と「お金」ですべて解決できると思ってる限り、幸せはやってこないでしょう。

合掌
この世界には三つの苦しみがありまして、他人から受ける苦しみ、自分の体から受ける苦しみ、そして自然から受ける苦しみです。どんなに社会が発達しようとマテリアル・ワールドに住んでいる限り避ける事は不可能です。ですから平和というのは夢、幻想に過ぎません。唯一の希望は「なぜ生きているのか」「何をすべきか」とことん考えたあげくに「僕らは無力で神様に祈るしか道はない」という境地に達するべく日々、努力を怠らないように自分を磨くことです。そして一番いい磨き方がハレークリシュナを聞き唱えること。いろんな人がいろんな事を提唱してますが、困惑されませんように。
ガムを噛みながら、中年女性のお客さんが
「22x28のあのデザインの額縁、みせてくれる」
「ハイ」
「マルチオープンの額縁はいくらかしら」
「通常39ドルが今週は半値で19.5ドルです」
「この額縁をもう4つほしいんだけど」
「残念ながら当店にはありませんが、サウスポイント店にはあります」
「時間があったらいくわ」
としばらく額縁を9点ほど選んだ後レジまで運んで精算
「クルマをもってくるからそこで待ってて」
「ハイ」
「後ろから入れて頂戴」
「ハイ」
と散在している買い物袋を寄せて額縁を乗せている間、彼女は運転席に座ったまま。
バックドアを閉めて
「終わりました」
彼女は窓も閉めたまま、こちらを振り返ることもせず、無言で走り去っていきました。
その間、まったく笑顔もなく、ありがとうの言葉もなく、もちろんチップもなく、非常に不思議な時間を過ごしたわけですが、、、

「ああいうお母さんの家族には生まれたくないなあ」/font>
今日は仕事でお客さんが預けた大統領の手紙を額縁に納めました。ホワイトハウスから送られてきた封筒、そして大統領とオバマ婦人、二人の直筆サインが入った手紙。白い手袋をはめて指紋がつかないように気合を入れて仕事をしましたが、ふと

「菅首相から来た手紙だったら、どう反応するだろう?」

としばらく考え込んでしまいました。

人によってシャクティというかオージャスというかオーラというか、日本語で言うと「格」でしょうか、それぞれちがうわけで、一体どこから来るのでしょう?
っていうのは、絶対的観点からみると自然なものです。「私には関係ない」と思っている人の中にもクリシュナはパラマートマーとして住んでいます。車は人が運転しないと動きません。ブレーキを踏んだら止まります。アクセルを踏んだら動きます。ハンドルを右に回したら右に曲がります。僕らが借りているこの「体」、髪の毛の成長を自分で止めることは出来ません。胃の消化力、腸の吸収力、心臓の鼓動、どれも自分では制御できません。「自然に動くものだ」というのは、単に知らないだけで目に見えないものを信じられない無神論者と宣伝しているようなものです。もちろん神様を信じない人にはどう話しても通じないでしょう。でもそんな人の中にもクリシュナが座っていてずっと一生の間、見守ってくれています。いつかそのうちその人が「気づいた時」、白人でも黒人でもアジア人でも、貧乏人でもお金持ちでも、キリスト教の人でもイスラム教の人でも、まったく区別なくだれもが「クリシュナ意識」になることが出来ます。
24時間キルタンが世界中に飛び火してまして、今度はイタリア、、、とてもクルマではいけません。visaカードのパワー(要するに借金?ですね)を使うべきか、涙を飲んで知らなかったふりをするか、、、、、、

片道分の義援金をしてくださる人には24時間!の録画したファイルをハードドライブにて進呈しますので興味のある方は御連絡くださいませ。おまちしております。




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