っていうのは、絶対的観点からみると自然なものです。「私には関係ない」と思っている人の中にもクリシュナはパラマートマーとして住んでいます。車は人が運転しないと動きません。ブレーキを踏んだら止まります。アクセルを踏んだら動きます。ハンドルを右に回したら右に曲がります。僕らが借りているこの「体」、髪の毛の成長を自分で止めることは出来ません。胃の消化力、腸の吸収力、心臓の鼓動、どれも自分では制御できません。「自然に動くものだ」というのは、単に知らないだけで目に見えないものを信じられない無神論者と宣伝しているようなものです。もちろん神様を信じない人にはどう話しても通じないでしょう。でもそんな人の中にもクリシュナが座っていてずっと一生の間、見守ってくれています。いつかそのうちその人が「気づいた時」、白人でも黒人でもアジア人でも、貧乏人でもお金持ちでも、キリスト教の人でもイスラム教の人でも、まったく区別なくだれもが「クリシュナ意識」になることが出来ます。