マレットの囁き -7ページ目

マレットの囁き

ご訪問ありがとうございます。

福島第一原発の大事故は

 

現在も原因究明中ですが、

 

どうやら真の原因がはっきりしてきました。

 

それは、原発は事故を起こしてはならない。

 

だから、事故防止に全力を尽くし検討する。

 

その結果、世界で最も高い安全性を確保しました。

 

そして、原発事故はあってはならないから、

 

事故防止には万全をきたすので、

 

メルトダウンが起きる可能性は想定しなくても良い。

 

これが福島原発が大事故に至った真因です。

 

かくいう私も福島原発が津波に襲われた際にも、

 

大事故に至るとは全く考えていませんでした。

 

なぜなら、あらゆる事故対策が万全に施されていると

 

おおよそのことは知っていましたし、それを信じてもいました。

 

津波により外部電源が喪失しても、

 

すぐに非常用電源に切り替わるのだから

 

まったく心配いらないと思っていましたし、

 

非常用電源すらも喪失したと知っても、

 

最終安全装置があるので心配ないとも思っていました。

 

最近になって、それらの最終安全装置が

 

完全に機能していたことも判明しました。

 

それなのに、あのような大事故が起きてしまった。

 

このことこそが相当に深刻な状況を示しているのです。

 

では、なぜそのようなことが起きてしまったのか。

 

その後の調査結果を見ると、

 

このような事故が起きた時の想定が

 

皆無に等しかったことが分かったのです。

 

実際に外部電源が喪失した際にも現場では

 

非常用冷却装置が稼働可能な8時間のうちに

 

復旧マニュアルを策定しようとしていました。

 

つまり外部電源が喪失した際のマニュアルがなかったのです。

 

それ以外にも、電源喪失による未確認事項に対して、

 

どのように確認し対処するかという事も、

 

想定されていなかったため、全く対応方法が不明でした。

 

このため現場では、困難な中、現状を確認しつつ、

 

その場で対処法を策定しなければならず、

 

しかもその間、本社からはただただ

 

「どうなっているんだ」との怒号しかなく、

 

現場の混乱を助長させ、作業を遅らせていた。

 

もちろんその背景には、政府が執拗に

 

当事者に介入したこともありますが、

 

逆に言えば、東電首脳部が

 

政府にまともな回答ができていなかった結果なのです。

 

本来ならば、東電の技術と原発のトップが

 

直ちに現地に赴いて陣頭指揮を執るべきでした。

 

命の危険が大きいことがわかっていたから、

 

本来駆けつけるべき人たちが誰も行かなかった。

 

これも大事故になった大きな原因の一つです。

 

つまりは、大事故発生を想定しなかったため、

 

東電首脳部もどう対処して良いのか分からず、

 

暗中模索を繰り返してしまった。

 

その結果が最悪の事態を招いたとも言えるのです。

 

その後の調査検討で、事前に事故対応を詳細に煮詰めて

 

事故後に起きる事象に対しての対応を策定しておけば、

 

あれほどの大事故は防げた可能性が十分にある。

 

事故が起きた時の対策対処法の確立が不十分だったと、

 

自己検証に携わった学者たちは口々に述べています。

 

もちろん原発の安全性を信じ込んでいた

 

我々国民にも責任はあります。

 

それが電力料金の負担という形だけなら、

 

きわめて軽いと言っても過言ではありません。

 

原発は絶対に安全なのだから、

 

地球温暖化対策のために、クリーンエネルギーとしての

 

原発利用を推進しても良いのではないか。

 

そう考えていたことも事実です。

 

それ故その責任は極めて重い。

 

それだけに再発だけは何としても防がなくてはならない。

 

そのような強い思いに至るのです。

 

現在の原発再稼働の安全基準に

 

事故が起きた時の万全な具体的対処法は

 

まったくと言って良いほど盛り込まれていません。

 

このような現状では大事故再発は免れません。

 

アメリカでは原発事故は起きるものと想定されていて、

 

事故が起きると原発周囲600km以内の地域の住民に

 

避難を勧告するようなマニュアルがあるそうです。

 

日本ほど万全な安全対策が施されていないアメリカでは、

 

その分、事故が起きた時の対応が明確化されているようです。

 

日本で同じような対策がされれば、

 

住民がパニックを起こしてしまいかえって危険なので、

 

日本の実情に合わせた対策が必要です。

 

少なくとも原子力規制委員会をはじめ

 

原発の安全に責任ある人たちには

 

事故が起きた時にどう対処すべきかを

 

自分たちの責任として、しっかり検討してもらいたいものです。

 

現状では、稼働中の原発が

 

福島と同じかそれ以上の大事故を

 

引き起こす可能性は極めて大きい。

 

このことをすべての国民の皆さんには、

 

再確認していただきたいと思います。

 

この宇宙には無数の法則が存在します。

 

そしてすべての法則は、それを束ねて秩序立たせる

 

一つの根源の法則に基(もとづ)いています。

 

あらゆる法則が根源の法則に基くことを

 

仏法では『帰命(きみょう)』と言います。

 

『帰命』とは『命に基く』と読みます。

 

この『帰命』は漢語ですが、

 

梵語の音写として漢語で示すと『南無』となります。

 

「何に基くか」つまりは「何を根本とするか」が『帰命』、

 

すなわち『南無』の意味するところと言えます。

 

この根本とすべき法が、宇宙根源の法則ということです。

 

仏法では『妙法蓮華経』が宇宙根源の法と説きます。

 

実際には法則の存在だけでは、それがどのように

 

根源の法則に基くのかという相互の関連性が不明確です。

 

そこで、『帰命=南無』という事が意味を持ちます。

 

あらゆる法則が関連して基づく根本の法則として、

 

『妙法蓮華経』という法則に基く(帰命=南無)という事で

 

『南無妙法蓮華経』こそが宇宙根源の法則になります。

 

これが仏法で説く根本の教えのすべてになります。

 

地球では、表意文字として漢字で表記されますが、

 

他の惑星では、その星の表意文字が使われます。

 

つまりは『なんみょうほうれんげきょう』という音(おん)が

 

全宇宙に共通する、宇宙根源の法則を表すことになります。

 

 

人類は自らを取り巻く自然環境の法則性を

 

生活の中から敏感に感じ取り、

 

それらの法則性に即した生き方を望みました。

 

それが自然の法則を神として、

 

神(法則)に『祈る』ことで、

 

自然の法則に則った生き方を目指したのです。

 

現代になって縄文時代の優れた点が

 

クローズアップされてきていますが、

 

その原点は、まさにこのような純粋な信仰心に

 

拠るものだったと言っても、過言ではないでしょう。

 

この点に関しては異論もあると思いますが、

 

少なくとも、このような観点から考える意味はあると思います。

 

 

少し話がずれてしまったので、根源の法則に話を戻しましょう。

 

『南無妙法蓮華経』が宇宙根源の法則。

 

このようなことを最初に説くとしたならば、

 

それまで誰も見たことも聞いたこともないことを

 

いくら素晴らしい相妙をした仏だったとしても、

 

何の前置きもなくいきなり説かれても、

 

信じられる人などほとんどいないでしょう。

 

ましてや、釈尊が仏法を初めて説いた古代インドでは、

 

表意文字など無く、表音文字のサンスクリット語では

 

「なんみょうほうれんげきょう」などと言っても

 

意味をなさない言葉になって、当時の人々には意味不明の

 

とても信じられないものになったことでしょう。

 

このことを熟知していた釈尊は、様々な形容を用いて、

 

少しでも人々がイメージしやすい情況を作りました。

 

釈尊の説いた教えが膨大な数に上ったのは、

 

まさにこのためだけにあったと言えるのです。

 

そして最後に法華経で『妙法蓮華経』の存在を明かします。

 

釈尊当時の『解脱、得脱』がどのようなものであったかは、

 

末法の我々には想像もつきません。

 

しかし人々に、なんとか「なんみょうほうれんげきょう」を

 

イメージし、可能な限り具現化しようとする努力は

 

うかがい知ることができる気がします。

 

釈尊が法華経で明かしたのは、

 

万人すべてに『成道』できる『仏性』が備わるということです。

 

『大日経』や『阿弥陀経』では悪人や二乗は成道できません。

 

これが『法華経』が最高の法という根拠です。

 

鎌倉時代に日蓮大聖人がこのことを示すと、

 

誰一人として反論する者がいなくなってしまいました。

 

このことは、当時の僧たちが

 

皆、それ相応の見識があったことを物語っています。

 

日蓮大聖人の主張が正しく、正にその通りであったがために、

 

法論しても、とても勝てないことが明らかだったから、

 

極力法論を避けたのです。

 

しかし法論以外なら勝てるかもしれない。

 

そんな妄想を抱いてしまう僧もいました。

 

それが、当時『生き仏』として崇(あが)められていた

 

極楽寺の管長だった良寛です。

 

この辺りは面白い内容もあるので、

 

また別の機会に、お話ししたいと思います。

 

 

さて、話を戻して、仏法で本来の法として説き明かした

 

宇宙根源の法則は『南無妙法蓮華経』でした。

 

宇宙全体としては「なんみょうほうれんげきょう」とした方が

 

より正確と言えるでしょう。

 

この宇宙根源の法則を唱え祈る。

 

これが宇宙根源の法則に則った生き方。

 

仏法の教えは、正にここにあると言って善いのです。

 

 

そこでは肝心なことがあります。

 

その一つは、『祈る』という事です。

 

何に対して祈るのか。

 

実はこの点に迷うからこそ『凡夫』といって、

 

正しい考え、判断ができない衆生となってしまうのです。

 

この「何に対して祈るのか」という『祈る対境(対象)』。

 

そして正しい対境に祈った時の姿かたちとは。

 

それを法華経の方便品に『唯仏与仏』と説かれています。

 

『仏と仏のみ』ということなのですが、

 

方便品の説かれた段階では、

 

釈迦如来以外の仏は出てきません。

 

では、ここでいう『仏と仏』とは誰と誰のことなのか。

 

興味が沸きませんか?

 

皆さんの興味が湧いたころに、お話できれば幸いです。

 

 

最近とみにYouTubeで目に付くのが、



こんな算数?の問題。



例えば、



74×76



118×112・・・これは自作ですが、

とか



これは数学の公式を使うと



即座に簡単な掛け算と足し算で答えが出ます。



種を明かせば簡単です。



(a+b)(a+c)=ā²+a(b+c)+bc



ここで設問を公式に当てはめて考えてみると、



(70+4)(70+6)=(70×70)+70×(4+6)+(4×6)

(110+8)(110+2)=(110×110)+110×(8+2)+(8×2)



と置き換えることに気づくでしょう。



そうすると、b+cのところは



(4+6) (8+2) となって



いずれも10となります。



ここが「みそ」♪



āの部分を二乗にしてから、それに



āを10倍したものを足して



あとはbとcを掛けた数を足すだけ。



(70+4)(70+6) だと



70×70=4900

70×10=700・・・70×(4+6)

4×6=24

4900+700+24=5624



(110+8)(110+2) だと、もうお分かりですね。



110×110=12100・・・11×11×100

110×10=1100

8×2=16

12100+1100+16=13216



インドでは、一見手間がかかりそうに見える計算も



このように分かりやすく簡略化して解く教育が



当たり前に行われているとのことです。



少なくとも我々の時代には、



そんな教育は受けてきませんでしたよねー。



インドの学生たちの数学力は



世界のトップクラスと言われています。



日本では難しい問題を解くことが優秀だと考えているので、



問題をできるだけ簡略化して解きやすくするという



こうした考え方には文科省の抵抗が強い。



何しろ文科省の高級官僚の方々は、



皆さん、ほかの人が解けない難問を



解ける実力ある方々ですから。



どうやらここに、日本の教育の



抜本的な問題が潜んでいるような気がします。



いったい「学力」とは何なのか。


「教育」を論じるなら、



まずはこの点を論議した方が良さそうな気がします。



「人が生きるために必要な基礎力を身につかせるのが教育。」



といった考えが、常識として定着すれば、



少なくとも「落ちこぼれ」は死語になると思うのですが。



なぜなら、教育が生きるために必要ならば、



「落ちこぼれ」は絶対に許されないのですから。



どうやら今の教育の根本的な問題点は、



「人として生きるための教育」という観点から



大きく逸脱していることにあるのではないか。



おっと、数学の問題から、



大きく論点がずれてしまいましたね。



まあ、「閑話休題」ですから



ご容赦願いましょう。