靖国神社に首相、閣僚が公式参拝すると、
なぜ周辺諸国が問題とするのか。
その真意が良く解っていないようです。
その根は昭和初期から太平洋戦争が終わるまでの、
日本帝国の軍隊による占領地の抑圧があります。
特に日中戦争以降は、占領地での軍糧調達が
住民の食料まで用途の限られた軍票で買い上げられたり
必要に迫られたとはいえ、強奪に近い形で
行われたこともありました。
これは日本の生産力が、国内需要を満たすだけで
手一杯の状態で、派兵した部隊への補給を
現地調達としたことに原因があります。
日本からの物資輸送の不足分は
当然朝鮮から調達することになり、
一部の人はこれにより潤いますが、
多くの人々は物資不足に悩まされることになりました。
当時の日本帝国軍は、朝鮮や占領地の中国の人々に対して
多くは高圧的、威圧的で、平等な扱いなどしていませんでした。
中国や朝鮮の人々は、身の危険を感じつつ、
抑圧に耐える日々が続いたのです。
この時の鬱積した思いが底流にあるのは事実でしょう。
この時の抑圧していた日本軍の精神的支柱が
問題の「靖国神社」でした。
死を恐れぬ兵士は最強であり、
最強の兵士を作ることが無敵の軍隊を作る。
このような考え方が帝国日本軍にあったことは事実でしょう。
勇戦奮闘して死して英霊として靖国に祀られることが
兵士の本望とされていました。
しかし、このような考え方が、
死ななくても良かった兵士たちまで
結果として玉砕という形で殺すことになったのです。
このため、戦没者の遺族の中には、
靖国神社に祀られることを望まない遺族も
大勢いるのです。
そして、兵士も民間人も戦没者として
全ての人が不戦を誓う場としての慰霊碑の建立を
強く望んできましたが、未だに実現していません。
そして、敗戦後GHQ(占領軍)によって
国家からの保護を外され、
一宗教団体となった靖国神社に
公人であり、国の指導的立場にある
首相や大臣が参拝しています。
個人が参拝するのは信教の自由なので構いませんが、
一国の指導的立場にある人々は
特定の宗教に肩入れすべきでないことは明らかです。
同じ与党である公明党は政教分離を明確に打ち出し、
支持母体に対しても政治的な側面でしか
接点を持たないようにしています。
そこまでやるのは、いささかやり過ぎの感もあるくらいですが、
政治家としてはそれくらいの「けじめ」があっても
良いとしたものでしょう。
いずれにしても、靖国神社が
アジアへ侵略していった日本軍の象徴として
侵略を受けた多くの国や地域で受け止められている事実を
もっと深刻に考えなければなりません。
旧日本軍の精神的支柱であり、
軍国主義の象徴である靖国神社に対して参拝することは、
いかなる理由をつけようとも、
戦争を起こした過ちを正しく認識もせず
また反省もしていないと言われても
むしろ当然なのです。
正しい歴史認識がないと批判されても
個人の信仰の問題にすり替えようとする
政府首脳は、やはり国際感覚に乏しいと
言わざるを得ないでしょう。
それ以上に、最近では、
自衛のための戦争を容認する動きが出てきています。
武力を持ち、武力を行使すれば
相手からもさらなる攻撃を受け、
日中戦争や太平洋戦争のような泥沼にはまります。
武力を持たざる国を武力攻撃すれば
国連加盟諸国が武力攻撃した国に対して
徹底的な武力破壊を制裁として加えます。
つまり、日本にとって、
自衛隊を軍隊とすることは
国を守るどころか、
最も危険な状態にすることなのです。
逆に自衛隊を警察機構に組み入れれば、
憲法第9条の改正など必要なくなり
自衛隊の違憲状態も解消されるのです。
自衛隊を国軍化しようとする動きと、
靖国神社参拝の問題は
同じ根から出ています。
この真実をはっきり知っておく必要が
日本国民に求められているのではないでしょうか。