今日も、教育委員会の定例会の傍聴に行ってきました。
以前の教育委員会定例会で中野区に新設される児童相談所の情報があったもので、
今回も何か情報が得られるかと思ったのですが、残念ながら今回はありませんでした。
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中心となった議題は、新設される学校の教室について。
現在の固定された黒板ではなく、スライド式にする、
また、全て映像投影もできるホワイトボード化してはどうかとか、
児童の席によって見えにくくなるような今の教室前方左に設置されているモニターではなく、
中央天井部よりおろす可動式のモニターにしてはどうかとか、
電子黒板が導入されることとか、
なかなか面白い提案や報告が得られました。
現場の先生の使えるツールが増えることは率直にうれしく思うとともに、
そのための授業研究が、ひとりひとりの先生の負荷とならずに、いい展開になっていくといいな、と思いました。
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それは別として、気になる点がいくつか。
教室づくりにおいて、もっとカラフルなデザインや、
児童が親しみやすいデザインにしてはどうかとの提案が参加委員よりなされました。
実は以前、発達障害を抱えている児童や、そう判断されていなくても、
その傾向がある児童に関して考えたことがありました。
その時に見つけたツイート、情報のうち、特に首肯したものがこちら。
http://kogusoku.com/archives/6097
要するにですが、色々な視覚情報を取り入れたくなくても取り入れすぎてしまう児童にとっては、他の児童にとっては安心や親しみやすさの材料になるカラフルさや形状が、かえって気をそらしてしまったり、集中できない原因になってしまうということです。
この視点を入れずに教室を作ってしまうことが、
表面化していないだけの発達障害を有した児童の学習の妨げになってしまうのではないかと非常に気になりました。
とはいえ殺風景な教室がいいのかと言えばそうではなく。
例えば、
学習に集中するための空間である教室の、特に前方に関してはシンプルな作りとし、学習中に目に入らない教室後方や廊下を含めた学校内におけるパブリックスペースに関しては、今より親しみやすいデザインにするなど、工夫やデザインの差別化のやりようがあるかな、と思えました。
他にも色覚障害を持つ児童に対しての配慮は、ホワイトボードであっても問題ないだろうか。
チョークひとつをとっても、より見えやすいものの導入は図れないだろうか。
などなど…。
http://www.tenjin-chalk.co.jp/deficiency.html
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もうひとつ気になったこと。
今回の新しく施工される、教室づくりの対象となるのは、小学校と中学校です。
その両方に対して、「教壇」を設けてはどうかとの意見がありました。
一段上からの方が、児童全体を見渡せて目を配れるとのこと。
うーん、正直反対です。
ひとつに、やはり物理的に段差が設けられる事に対する、バリアフリーの観点です。
授業の中で、それぞれの児童に黒板に(ホワイトボードに)板書させる機会は少なくないと思います。その際に、例えば先天的に膝を曲げることが難しい児童がいた場合はどうでしょうか。
車いすであれば言うまでもないことです。
今後何十年と使用する教室において、どんな児童でも受け入れられる設計であることを希望します。
また、中学生ならまだ危険性は少ないと思いますが、小学生の特に低学年などは、突発的な動作があります。休み時間にふざけて走ったり、友人とじゃれているうちにそれがエスカレートしたりといったことです。
教壇という段差があることで、教室内で走ってしまっているうち躓いて怪我するといった、予想外の大きな事故につながるのではないかと不安を感じました。
それは教員より指導すればいいとの声があるかもしれませんが、教室内でも教員は丸つけや連絡帳のチェックなど、物理的な「注視」が難しい状況であることが多い。
何かあったときにその責任が一教員へ降りかかるリスクは、教室運営の中でも弊害にしかならないように思うのです。
発達障害と一言に言っても、そう明確に判断できる児童と、そうではない児童がいます。
昭和の時代には、その線引きがなかった。線引きがあいまいなための利点もダメな部分もありました。むしろダメな部分が大きかった。
今般は、その線引きをしたことにより、より的確な対応ができるようになりました。
ですが、その線引きが曖昧な児童に対しては、ぽっかりと落とし穴のように〝その子ども″に即した対応ができないやりようになってしまっている気がするのです。
しかも、その責任が一教員へと大きな負荷となってしまっている…。
どんな児童であってもストレスなく過ごすことができる、どのような児童でも同じ空間にいられる環境づくりの方が、今必要な視点なのではないかと思えました。
もうひとつ。
一段高くいる、ということが、教員側、児童側それぞれにとって、無意識の「権威付け」にならないだろうか?
それが果たしていい方向へ働くだろうか???
色々と考えることは多くありましたが、何よりもマイノリティへの配慮もある教室づくりがなされるようにと希望しています。
そして、保護者がもっとこういった場へ情報を得に来てほしい。
当事者として考えてほしいです。
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他にも、各学校へ課されている研究授業に関してや、
中野区の給食はレベル高いよ!といった情報。
それに、学校により教員の男女比率が偏っていることや、
健康診断の担当医師への負荷があまりに大きすぎることなど。
非常に今後注視していきたいことの多い、今回の傍聴でした。