フルコンタクト空手を「実戦」と信じるのは、もはや格闘技術ではなく「新興宗教」の域だだと感じます。
- 1. 直接打撃制空手を追求していくと顔面攻撃に行き着く、そしてグローブをはめる。直接打撃で顔面を狙えば、拳を守るためにグローブが必要になる。その瞬間、打ち方もガードも「グローブに最適化」された別物へ変質する。それは空手ではなく「キックボクシングへの改宗」のように感じます。
2. 剣道における「竹刀特化」の罠「居合は型だけ」と馬鹿にする人がいますが対人のために竹刀を持てば真剣ではあり得ない「竹刀に特化した速さと当て方」に変質します。竹刀剣道もまた、真剣術を捨てた別の競技に過ぎないと感じます。
3. 「顔面なし」という究極の安全圏フルコンタクト空手が足を止めて胸を叩き合う光景を見ていると「顔面を打たれない」というルールに守られていると感じます。「立ち止まっていても蹴りがある」という人もいると思いますが顔面パンチのリスクがないからハイキックも打ちやすい顔面パンチのリスクがある実戦で、足を止めて蹴る隙などきわめて難しいはずです。一箇所に留まれば一撃で沈む。必然的にボクシングのような「フットワーク」が必要になる。
4. 伝統派空手という「正統」いわば伝統宗教伝統派が直線的な踏み込みや中足の一撃を「型」として守り、「寸止め」を維持しているのはなぜか。それは、グローブや竹刀という「道具への最適化=変質」を拒絶し、素手での本来の術理を腐らせずに保存するための唯一の手段だと考えます。「当てる」ことを優先して道具(グローブや竹刀)ルールに特化した瞬間に、それは別のスポーツになる。フルコンタクト空手は、結局のところ「顔面なし空手」という特殊な競技。道具という補助輪に頼らず、素手の究極を型に封じ込めた伝統空手こそが、実は最も「本来の姿」を今に伝えている。




























