日明貿易

 

日本の輸出品は、銅、硫黄、金、刀剣、漆器、蒔絵などであり、日本が輸入したものは銅銭、生糸、綿糸、織物、陶磁器、書籍(仏教経典)、香料などであった。 銅銭は洪武通宝、永楽通宝などで、貨幣が鋳造されなかった日本で広く流通した。

 

 

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↑この本と著者のサイト。

 

このサイトは結構トンデモ系の話が多いのですが、結構その内容を信じている人が多いようです。代表的なものだと「古刀は芯鉄なしの無垢鍛え」とか↓

 

 

 

 

もちろんそんな事はないのですが、もう一つ結構信じている人をみかけるのが「古刀は明国から輸入した鉄で作っていた」という話。時代的にいえば末古刀の事を言っているのでしょう。しかし、もちろんそんな事はあり得ません。

 

厳密に言えば、大陸の鉄を使用した日本刀は少なからず存在はするでしょう。絶対数でいえば数はかなり多いかもしれません。しかし同時代に作られた刀の割合の中でいえば少数派であったはずです。

 

この珍説は「古刀の成分分析をしたところ大陸の鉄材と成分が一致した」という事例がきっかけで展開されているようです。

 

その結果が正しいとしても、それは無垢鍛えの古刀と同じでサンプルの偏りによるものです。

 

冒頭で紹介したように、日明貿易で輸入された物品に鉄材は含まれていません。大量に輸入されたものはちゃんと記録に残っているのです。

 

この点をクリアするために、このサイトでは「倭寇が鉄鍋を好んで奪った」という明側の記述を挙げています。正規の日明貿易ではなくて倭寇が奪った鉄材を刀の材料にしたのだろうというわけです。しかし、あまりに効率が悪すぎます。

 

量としても、とても同時代の刀剣需要を賄うようなものではありえません。

 

確かに日本では中世はおろか江戸時代であっても鉄はそれなりに貴重品でした。そう思えば倭寇が鉄ナベを奪うのは理にかなっています。しかし、普通に考えれば奪った鉄鍋を手間をかけて刀の材料にするよりもそのまま鉄鍋として売る方がよほど効率的でしょう。日本でも刀より鉄鍋の需要の方が多いようにも思います。もちろん奪った鉄材が刀の原料になる事はあり得ることですが、量的にはそんなに多数にはならないはずです。

 

もう一点、貿易船のバラストとして鉄材を積んできていたという話。貿易品ではなくてバラストだから記録が残っていないというもの。これはさすがに根拠が無さすぎます。妄想空想の類です。有史以来一例もそんな記録・記述は残されていないのですから。

 

大陸から日本に対して鉄材を大量に移送したという文献記録は日本にも明(宋)側にも存在しません。古墳時代に任那の拠点を失って以降は大陸から鉄材を輸入していない。これが通説であり、この通説に異を唱えるような学説・論文は存在しないと思います。

 

 

繰り返しますが、おそらく大陸から持ち込まれた鉄で作られた日本刀は少なからず存在すると思います。絶対数でいえばかなりの数でしょう。しかし、割合でいえばそれはあくまでも少数派のはずです。そうでなければ日本全国に残る大量の製鉄施設の遺跡との整合性がとれません。ここの整合性をとるために著者は「日本の製鉄施設の遺跡というのは、実はバラストとして運んだ鉄材を精錬した施設の跡なのだ」というような事を書いているのですが・・・

 

以下抜粋↓

従来「砂鉄製錬遺跡」とされた遺跡の殆どは、金属学者の介入に依って舶載ズクを原料とした「精錬=製鋼遺跡」に次々と覆えされた。砂鉄を脱炭材に使った製鋼遺跡を考古学で砂鉄製錬と誤解した為である。

 

もちろん、そんなわけがありません。著者の記述を正しいとすると、日本の考古学者が全員これを誤解していると解釈しなければなりません。

 

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このサイトの内容、もちろん歴史学者に相手にされるようなものではありません。歴史学者の書いた書籍にはこのような事はもちろん書かれていません。でも、ネットを見ていると意外とこのサイトの内容を信じている人がいるように思われたので書いてみました。

 

「古刀は芯鉄なしの無垢鍛え」

「古刀は大陸からの輸入鉄」

 
ちょっとしたサンプルの偏りから発した壮大な妄想だと思います。
 
ちなみに、こういう話に限らず歴史学の中で新説として認められるためには学位を持つ人が論文として専門誌に投稿して採用されなければなりません。最低限の話です。論文を投稿する資格が無い人、いわゆる素人研究家が個人的に調べた事を一般書に書いてもダメなのです。だから、この本やサイトの内容は歴史学の中の一説にもなり得ないのです。つまり歴史の教科書と司馬遼太郎の歴史小説くらいに違いがあります。司馬史観が学説たり得ないのと同じ。
 
一般書は何冊も書いたけど論文投稿なんてした事がない私が保障します(笑)

もう少しいうと、この本・サイトの著者は日本刀の事について勉強不足なんじゃないかなとも思います。私程度の人間から見てもそう思えるのです。
 
現代刀の作り方は新々刀以来の伝統に過ぎないのに、現代刀匠はそれに固執しすぎていて正しく古刀再現を目指していない・・・というような批判めいた事を書いたりもしているのですが、、、この著者は水心子正秀の著作物すらちゃんと読み込めていないように思われてなりません。水心子の著書を読めば新刀に無垢鍛えの刀が多くて折れやすかったので、水心子が「芯鉄・皮鉄」の古刀の作り方に回帰した事などもわかるはずなのですが。
 
勉強不足なだけなら良いのですが、いろんなデータを無理やりに自説に合うようにこじつけ記述しています。その点は特に感心できません。
 
軍刀の事に関してはきっと素晴らしいのだと思いますが。
 
一応書いておきますが、、、もちろん私だって歴史学の学位なんて持っていないのですから、ここに書いている事も含めて全部私の素人妄想です!
 
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