本日二つ目の記事ですが、、、

 

前回の記事で紹介した石井昌国氏の名著を読んで思い出した事があります。

 

古刀は芯鉄を入れない無垢鍛え・丸鍛えという方法で作られていたという俗説があって、結構信じている人がいるようです。

 

これは完全にデマ、というか誤解です。

 

無垢鍛え・丸鍛えの刀は古刀にも新刀にも現代刀にも一定の割合で存在しますがいつの時代においても常に少数割合です。今回はこれについて書いていこうと思います。

 

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蕨手刀 日本刀の始源に関する一考察
石井昌国 著

 

一つ前の記事で紹介したこの書籍には興味深い事が色々書かれていました。

 

その一つが蕨手刀の造り込みについて

 

↑日本刀は柔らかい芯鉄に硬い皮鉄を巻いて作るのが基本です。

 

造り込みの種類はたくさんあって、刀工ごと流派ごとに異なる。名前もない造り込みの種類がたくさんあるそうです。

 

もちろん皮鉄も芯鉄も折り返し鍛錬をして作ります。

 

 

昨日読んだ石井氏の著書に蕨手刀の大半にこの造り込み構造がみられる事が書かれています。

 

無垢鍛え・丸鍛えという芯鉄をいれずにただ折り返し鍛錬を重ねるだけのものもあるけど、割合としては少ないことも書かれている。

 

画像サイズの関係でTwitterにあげました↓

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日、実はもう一冊別の石井氏の書籍も借りました。

 

その本には蕨手刀の時代よりも数百年古い弥生時代の鉄斧・鉄戈と鉄製の刀剣の構造が載っていました。

 

 

 

芯が硬鉄・皮が軟鉄の造り込みがみられます。

 

日本刀とは逆の構造です。三枚鋼の包丁や、中国では近代にいたるまで刀剣にみられる構造です↓

 

 

 

鉄器製造技術は古墳時代に日本に入ってきたわけですが、それ以前に人類には2000年以上の製鉄技術があったわけです。当たり前ですが日本に入ってきた段階では既に原始的な段階をとっくに過ぎていた。造り込みの技術も一緒に伝来したわけです。

 

いつの段階で芯鉄が硬い中国式の構造から皮鉄が硬い日本刀式の造り込みに変化するのかは不明ですが、古代から無垢鍛え・丸鍛えでつくられた鉄刀は少数派だったように見受けられます。

 

 

その起源などはわかりませんが、おそらく硬軟の鉄を合わせる造り込みは前漢時代に普及したものだと思います。鉄製の長刀が普及し銅剣から置き換わった時代です。

 

さらにその前段階として、春秋戦国時代に銅剣の錫と銅の配合割合を芯金と刃金で変えたところから「造り込み」の歴史ははじまるのでしょう。

 

 

 

 

初期の日本刀からもこのように芯鉄・皮鉄構造が確認されています↓

 

 

 

 

 

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↑古刀は芯鉄のない無垢鍛え・丸鍛えという情報が広まった原因はたぶんこのサイトです。

 

インターネットが普及しはじめた頃から存在するサイトで、当時貴重な情報源でした。今ほどネット上に情報がなかったのです。

 

このサイトの情報を信じた人が当時流行っていた2ちゃんねるなどで情報を拡散して広まったのではないかと考えています。

 

このサイトには古刀の断面図なども載っています。

 

 

複数の古刀の断面から芯鉄・皮鉄構造がみえないので昔の古刀は全て丸鍛え・無垢鍛えだったという極端な結論に至っています。

 

しかし、おそらくこれはサンプルの偏りによるものです。

 

↑皮鉄が残る西暦1200年の刀

 

 

無垢鍛えの鉄刀というのは弥生時代の鉄刀にも蕨手刀にも一定の割合で存在するのです。しかし全体からの割合としては少数派。

 

古刀においてもおそらく同様なのです。

 

以前この件について助光刀匠からコメントを頂いた事があります↓

 

ボロばかりの切断ですが、今まで鎌倉時代から軍刀まで、100振り以上の刀を切断して来ましたが、
古刀は、殆どが芯金が使われてました。
名刀とされる場合も、フクレの破れから推測すると、皮金が薄いです。

古刀は無垢と言う話をネットや本でみますが、実際に無垢で鍛えた刀を見た事がありません。
逆に、新刀になると、正真銘の場合無垢が多かったです。

ボロといっても、朽ち込み等で金銭価値が無いと言う理由で捨てられた刀達でしたから、名刀もありました。勿体ないですが、スクラップにされるより、
刀に生まれ変わる方が良いため、進んで切断しております!!

潰す前に実験もしてますが、その結果、古刀より新刀の方が斬れ味は優秀でした。
しかし、折れ試験では古刀が価値ます。

とは言え、新刀はヘルメットに切り込んだり、レンガを割ってももびくともしなかったので、言う程弱くは無いと思います!

 

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↑こんな感じで古い刀をつぶして刀の材料にすることは助光刀匠に限らず刀匠は皆おこなっている事です。サイト主催者は現代刀匠が古刀再現を目指しながら無垢鍛え・丸鍛えで作らない事を批判しているのですが、現代刀匠は古刀に丸鍛えが多くない事など経験で知っているはずです。ちなみに現代でも短刀では丸鍛えで作られる事も珍しくないようです。

 

 

 

↑この本に水心子正秀の著書の内容の多くがほぼそのまま書かれています。その中に、

 

無垢鍛えの刀や大出来(派手な刃文)の刀は折れやすいから頼まれても自分は作らないし、子孫にも作らせない。ただし脇差などは短いから折れないのでこの限りではない。

 

という内容のことが書かれています。水心子の「刀剣実用論」から。

 

こんな事が書かれるくらいに江戸時代には派手な刃文の刀と同様に無垢鍛えの刀も多く作られていたのでしょう。これは助光刀匠から頂いたコメントの内容とも合致します。

 

そして、無垢鍛えの刀が古くからあまり作られない理由は「折れやすいから」なのだという事もわかります。

 

だから短刀や脇差など短いものであれば無垢鍛えでも構わないし、現代でもそのように作られる事があるわけです。

 

古刀は新刀以降よりも鉄質がやわらかかったはずなので、無垢鍛えでも折れにくかったかもしれません。だから一定の割合で無垢鍛えの刀は存在するはずです。総数でいえばそれは決して少なくないと思いますが、全体に対する割合としては絶対に少数派なのも間違いないでしょう。

 

古刀よりもっとやわらかくて短寸の蕨手刀ですら無垢鍛えより造り込み構造の刀の方が多いのですから。

 

石井氏は蕨手刀のビッカース硬度まで算出して、それが日本刀より柔らかい事を説明しています。

 

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https://plus.nhk.jp/watch/404

 

↑余談ですが、1年ほど前にNHKの番組で蕨手刀の事を取り上げている番組をみたのですが、その時に出てきた蕨手刀は折り返し鍛錬すらされていない純粋なスノベ刀だったのです。何かものすごい機械で内部構造を調べての結論でした。

 

石井氏が詳細に調べた蕨手刀の中にはこういう物は含まれていなかったはずなので、スノベ構造の蕨手刀は相当に珍しいものなのだと思います。

 

 

 

↑石井氏の著書にある蕨手刀の写真からは折り返し鍛錬特有の鍛え肌がわかりやすく見てわかる写真も載っています。折り返し鍛錬自体は3000年前から世界中で行われてきた普遍的な古代の鍛錬法なので、古代の刀剣でその跡がないものはとても珍しいのです。NHKのスノベ蕨手刀は奉納用に作られたような特別なものだったのかもしれません。

 

スノベ蕨手刀は、古代の関東~東北に存在した餅鉄という純度の高い自然鉄で作ったのではないかと助光刀匠からコメントを頂いた事があります。その餅鉄は早い段階で枯渇してしまったようです。

 

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↑再度このサイトの内容をみてみます。

 

以下抜粋↓

 

 刀剣界は「心鉄を入れるから折れず曲がらずの刀身が実現した」と主張する。これは天文に出現した千種、出羽鋼が硬過ぎて刀身折損の虞(おそれ)が生じた為に考案された各種硬・軟鋼の合わせの中の一つの作り込みにしか過ぎない。ここにも大きな勘違いがある。古刀の前~中期は丸鍛えが普通であり、刃部と刀身硬度は焼入で調整した。往時の地鉄は硬・軟鋼が「練り合わさった」複合材と推測され、刀身に心鉄を合わせる必然性など全く無かった。それで刀身性能と美は充分に確保された。(斬鉄件・小林康宏参照)

 やがて刃金技術を知り、硬い刃を差し込む割刃鍛えが萌芽した。合わせ鍛えが現れたのは製鉄技術が進化した古刀末期からの現象と思われる。合わせの一種であ皮・心鉄構造は新刀の堀川国広の考案とされる。

 

 

石井氏の古典的名著は1966年出版の書籍です。その書籍にはすでに蕨手刀の多くが芯鉄・皮鉄構造であることが書かれている。ちゃんと現物の炭素量調査やビッカース硬度まで算出しています。

 

それらを踏まえてこのサイトのこの文章を読めば、このサイトの情報の内容の信憑性がわかって頂けるのではないでしょうか。

 

このサイトの主催者は書籍も出版されているので、著者の略歴がわかります。

 

 

大村紀征 Omura Tomoyuki – 日本近代刀剣研究会

 

昭和41年(1966)3月、九州産業大学産業経営学科卒。同年4月に商社入社、のち日立造船情報システム(株)へ移籍。システム開発や営業を歴任し、取締役にて退社(著書に『情報検索論』、『CAD/CAM概論』他)。

平成8年(1996)、軍刀の現物調査を開始する。平成10年より軍刀の資料的本格調査に乗り出し、その過程で、現在流布されている「たたら製鉄と日本刀」の概念に疑問を持ち、日本刀全体の研究へと拡がっていく。平成14年12月よりホームページ「軍刀・日本刀」を開設、業界へ一石を投じる。

平成15年、サイト支持者により「軍刀を語る会」が結成され、勉強会などを実施する。平成17年2月より日本刀部門の独立サイトを開設。平成20年、「日本近代刀剣研究会」が発足、顧問に就任する。考古学に基づく製鉄と日本刀の歴史について、普及・啓蒙活動を実施。

現・福岡金属遺物談話会(幹事:福岡大学考古学研究室)受講するなど、中世の国内鉄市場と日本刀地金のテーマを追求中。現代美術刀剣界とは一線を画し、従来説に囚われない日本刀の真実を追求している。

 

 

 

昔は定年退職が55歳だった事を思うと、定年退職後に個人的に刀について調べはじめた人なのかなと思います。つまり歴史研究者とか刀職関係の人ではない事がわかる。いわゆる素人研究者というやつです。そして本職での出版経験があるので商業出版のノウハウというか売り込み方を知っていたのかも、というのも読み取れます。

 

著者略歴をみれば内容に関しては無理からぬ事かと思います。

 

こんな感じで一般書を読む場合は著者プロフィールを読む事がとても大切なのです。ネットに限らず書籍の内容も結構いい加減なのです。特に一般書は。何冊も一般書を書いてきた私が保障します(笑)

 

 

ちなみに、この著者のサイトは日本刀に関して書いてある事は他の箇所も内容的に無理があると思われるのですが、軍刀の情報はとても素晴らしいと思います。全く詳しいわけではないので内容の真偽まではわからないのですが。

 

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