何やらお家の近所の教会に日曜の朝から
コンテナというのかトレーラーというのか

このあたりの住宅街ではあまり走っていない大型の車が

止まっていると思ったら

せっせとオレンジ色のカボチャを

リレー形式で積み下ろしていました


じゃー午後はきっと!

と、いうことでお昼の後に覗いて見ると



トウモロコシの葉っぱを詰め込んだカカシも!
こちらヒューストン  ~Bush Womanの日記~


もちろん大きなものは、とてもじゃないけれど

持ち上げることなど出来ない巨大カボチャ


こちらヒューストン  ~Bush Womanの日記~

多い人は一輪車に積んで、こんなに?

っていうほど買っていくひとも


大きなお家の庭とか玄関先にカボチャをころがしておくのかな?



そして、これもカボチャなのか?

ズッキーニのような、ヒョウタンのような?

こちらヒューストン  ~Bush Womanの日記~




このカボチャたちは

ランタンにするために中身を出してしまうと

すぐにダメになってしまうそうですが、

硬い皮におおわれたこの状態なら

ひと月やふた月はもちそうです




こちらヒューストン  ~Bush Womanの日記~

と、いうことでベランダのテーブルの上に

おいておこうかということで、

オレンジのカボチャとしろと緑のひねくれたのと

黄色のズッキーニみたいのを買ってみました

3個で6ドル




ベランダの

テーブルの上に並べてみました


こちらヒューストン  ~Bush Womanの日記~

オレンジのカボチャは3ドルで

ハロウィンが終わったら食べるのだ

と思いこんでいるダンナはレシピを考えているようだけど



ほんとうに食べれるのかなぁ?

鑑賞用って感じだと思うんだけどなぁ
こちらヒューストン  ~Bush Womanの日記~

マズかったら嫌だしねェ



何を思ったか、ダンナがオレンジとメロンを一緒に並べていました
こちらヒューストン  ~Bush Womanの日記~

これで大きさ比較じゃないだろうし

色の釣り合い?


何を考えているんだろうね?

秋は人を芸術家にする? (バカバカしい)










先日活けたキクを中心にした

秋のお花も


最後の最後まで活躍して貰って
こちらヒューストン  ~Bush Womanの日記~


こんなふうに楽しませてくれました
こちらヒューストン  ~Bush Womanの日記~

何故か

ヒューストンの和食レストランへ行って以来


シンガポール、ブキティマストリートの

うどん屋GARO

を思い出してしまい


頭の中には加藤和彦さんの【シンガプーラ】が流れている


懐かしのロックンロールが♪

かすれた音ラジオから  ♪♪

西東ぶつかって今奏でるハーモニー ♪♪♪


シンガプーラ ♪

  シンガプーラ ♪♪

    シンガプーラ  ♪♪♪


夜をかき消すように ♪

 青い月の光が   ♪♪

人生を忘れそうこのアジアの片隅で  ♪♪♪



結婚そうそう3か月間のダンナとの別居のすえ

シンガポールに到着したワタクシは

チャンギーエアポートにダンナの姿が無かった

ことを昨日のことのように覚えている


ダンナは仕事に夢中で

到着時間の2時間後にようやく時計を見て

ヤバイ!

と思ったらしい



ワタクシは未知の国の到着ロビーで

どうしようかと途方にくれながらダンナを待っていました

インド人に声をかけられたりして

不安にさいなまれていました

  {今思えば、とてもウブでした」



空港から自宅までのダンナが運転する車には

南国の夜の暑い風が肌にまとわりつくようで、

そして南国特有の果物の少しすえた匂いが

開け放たれら車窓から入ってきてた



南国の夜の湿った空気



シンガポールの夜はどこも

街灯が整備されていて明るい雰囲気だったのが救い

これがタイだとまたちょっと違うんだよね



それでも翌日からのワタクシは逞しかった

いきなりローカルのマーケットへ買い物へ

シンガポールは公用語が一応英語ということになっていて

その他、自民族の言葉も同時に公用語として認められていたので

中国語、マレー語、タミール語なんかも話されていたっけ




完全ローカルのマーケットでは

中国語の長州語か福建語が話されていた

主婦は逞しくなくちゃいけませんから

ワタクシはそこでお野菜お魚お肉などの買い物

最初に覚えた中国語が


タァウシャウシェン? = おいくら?


だった





ある日、そのマーケットで扱っている練り製品で

おでんを作ってみようと

おでんに近い種をいくつか買ってみた

現地のミースープ(ラーメン)にはスライスして入っていて

食せないしろものではなかったのだ



ごぼう天とかエビダンゴやハンペンなど、

巾着もあった

そのほかに大根、ゆで卵、こんにゃくなども入れて

なかなかの出来栄え



ところが味見する前から少し様子がおかしい

味見して驚いた

独特の油のにおいがきつくて食べられないのだ

もったいないけれど全て廃した

やはりおでん種は紀文か?

残念




最初に住んだところは

ブロック413

Pandan Garden 「パンダン・ガーデン」

という地名がついていた

近くに福建のお寺があって京劇をやることもあった



1フロアに4軒の20数階建の高層住宅

7階だったろうか?

このお家は赤道直下のシンガポールにもかかわらず

エアコンが無かった

3LDKで200平米ほどあったろうか?


オーナーが2年間ロンドンに留学するので

その間、賃貸したいとのことで

まわりに日本人はいなくて

完全にローカルの中に居たなぁ

普通、企業駐在日本人は

ある程度のレベルのところに

かたまって住んでるんだけれどね


今、ふと記憶に蘇った

ローカルのマーケットの名前は

Teban Garden 「テバン・ガーデン」だった


そしてAyer Raja Roadを渡ったところの

ちょっとしたグロサリー程度の小さなスーパーがFaber Market

315番のバスに乗って Tama Juronの

お友達のお家に行くのに

バス代が15セントだった

そのバスは昇降口のドアを開け放して走っていた

スコールがくると電気系統が弱い車がエンコしていたのを

良く見かけた


Bukit Timaのヤオハンが出来たのは

それからどれくらいたったころだろうか?


そして・・・

翌年の結婚記念日に長男を出産した


お医者さんは東北大学に留学した中国人の

Dr.Chow

まだ、若かったワタクシには結構なお爺ちゃんに見えたけれど

ベンツの2シータに乗っていたから

思ったよりも若かったのかもしれない

とてもお世話になりました


そうそう病院の名前が

カンダンケルバウ ホスピタルといって

きっとマレー語かインドネシア語がルーツだろう

そこはオーチャードを過ぎてNewton Circusを超えたところにあった











Newton circusのサーカスという言葉は

交差点が円形のロータリーになっているところで

信号が無くて効率よく交差点を横切ることができる

南仏を旅して分かったことだが

ヨーロッパではこの交差点は普通に見かけた

シンガポールは長くイギリスの植民地であったから

このようなシステムが取り込まれたのだろう


そしてこのニュートンサーカスは屋台が集まっていることでも有名

屋台と言ってもここはしっかりと店構えがあり

上水道も完備していたから衛生上は問題なかったと思う

マレーシアの串焼きサテーとか

しゃぶしゃぶのスティームボートとか

いろいろなシーフード料理

インドのカレー

中華料理

それらがレストランと異なるところは

南国の星空の下で頂くのだ


出産前から入院していたワタクシは

病院の食事をあまり食すことが出来なかったので

ダンナは仕事を終えて

お家でお弁当を作って病院までバスで通ってきた


数時間病院にいてまたバスで帰るわけだが

よほど疲れていたのだろう

いつも病室のベッドの横の椅子で突っ伏して眠っていた




・・・・・・・・・

大規模な中華料理店 88 (エイティエイト)というのが

Jarlan Ahamad Ibrahim(ジャランアーマッドイブラヒム)通りの

歴史を感じさせる通り沿いに大きな中華料理店があった

East Coastの浜辺が裏庭には続いていて

休日のお昼に飲茶を頂きにたまに行った


シンガポールの民族構成は1980年代前半ではあるが

70%が中国系

20%がマレー・インドネシア系

10%がインド系

だった

現在は変わっているかもしれない


だから中華は結構おいしくて

中国系は長州か福建だったからシーフードが主で

味付けもどちらかというと淡泊で薄味なところが

日本人にも向いていると感じた



・・・・・・・・・

福建と言えば

長男の出産後ひと月目のお宮参りは

シアンフッケンテンプルだった

小さな福建省出身者が建てたお寺だったが

歴史があって海の神様が祀ってあった


その時の記念写真をのちに見てみると

産後の疲れを目元に残しているワタクシがいた

ダンナが嬉しそうな顔をしているのが印象に残っている


長男がお腹にいる時の

ビーチで大きなおなかの妊婦さんが

収まっている写真がある


勿論、妊婦さんはワタクシで

その場所はシンガポール本島から船で30分ほど

沖合に行ったところにあるシスターアイランド


シスターアイランドというのは名前の通り

小さな島が二つ並んでいる島で

干潮になると歩いて一方から一方へ渡ることができた


そこで一日遊んでシンガポールに帰るわけだが

サヨリが面白いように連れた

  「南紗でサヨリとたわむる」

という紀行記を書いていたのはダンナ


若くして結婚したダンナはワタクシを養っていけるのだろうか?

と、いう不安を抱きながら結婚したわけだけれど

結婚と同時にシンガポールへ赴任することになったことで

生活は何とかなる

と確信してある意味肩の荷を降ろしたとは

後々に打ち明けられたことだった


そんなダンナも長男の首が座る頃

West Coastの公園で親子3人の写真に収まっている姿は

父親として何となく様になってきたように見えた

ちょっと下をうつむいて視線のさきは長男の手元

ワタクシだけがカメラに向かってほほ笑んでいて

長男は親指を立てて何か仕切りに話しかけている写真


お弁当を持って

チャンギーエアポートの飛行機が発着するところを

間近に見るのが好きだったダンナも息子も



・・・・・・・


南洋大学のシーフード店

ヒルトップ

アイヤーラジャロード

ジュロン

オーチャードブルーバード

懐かしい名前ばかり



パンダンダーデンのブロック413の我が家

パンダンリザボーの散歩道



5年間住んだシンガポールでは2度引っ越しをした

家具付きのお家で家財道具も大したものが無かったので

毎回ダンナが自分で引っ越しをしてたっけ


パンダンガーデンには2年住んだ


その後のシンガポールはまたの機会に

思い出がつぎから次にあふれてきて書ききれません

そして同じことを何度も何度も

ワタクシとダンナはこの先も

思い出を反芻していくのだろう・・・























こちらヒューストンも秋らしくなってきたので
ハイキングに行きたくなった

手近なところでヒューストンからI10を西へ50マイルほどで
Stephan Austin State Parkというところがあったので
お弁当を持って行ってみた

Austinと言ってもテキサス州の州都オースチンとは何の関係もない田舎だ
テキサスでは州都がAustinでHoustonは州都ではありませんが
Houstonが石油関係で大きくなって全米第4の都市となったのです
でも、限りなく田舎です


公園までおよそ1時間弱で到着
公園入り口の公園事務所で一人4ドル払ってレシートを
フロントシールドにセロテープで張り付けておく

トレイルコースの地図を頂いて

photo:01



この近くのトレイルコースはどこも平坦で歩きやすいけれど
面白味にはかけるし、満足感もなかなかねぇ
歩いたぞ――!っていう達成感が欲しいですよね


地図の中でレンジャーにお薦めコースを確認してマークして貰った
およその距離を確認すると全てくまなく歩いても15キロほど
じゃー出来るだけ大周りしましょう
と、いうことで出発

ところどころにこのような道しるべ
photo:02



川に出ました
Brazos Riverです
平坦で落差がない土地ですから川床はとても細かい砂
だから水は濁っているけれど公園内は魚釣りがフリーだ
photo:03


と、いうのも普通に海や川で魚釣りをするときは
スポーツ店で許可証(年間パス)を購入しなくてはならない
それと魚釣りガイドは必須だ
それを見て魚の種類によって解禁日があり、釣り上げても良いサイズと数が
細かに決められているらしい
これは、らしい
と、いうことで、とある日本料理屋オーナーからの聞きかじり



お昼には少し早いけれど
ちょうど半分は歩いたと思われるところで
とても都合よくベンチがあったのでお弁当を広げた
シンプルなオムスビ
photo:04


オカズは卵焼きにソーセージにお漬物
とこれまた至ってシンプル
オムスビは梅シソと山椒シラス
デザートはメロン

お肉が苦手なワタクシはソーセージなんて一番ダメなんだけれど
最近美味しいソーセージを見つけて
はまっています

また次回に紹介してみるのもいいかもね
Central Marketで試食してお気に入りになりました

自然の中で頂くと美味しいねぇ ネ!



そして再びまるでジャングルのような森の中をひたすら歩いて
たまにすれ違うハイキングの人や
コースによってはバイクも可能なので
すれ違います
photo:05



約4時間ほど歩いて、でも物足りなさを感じて帰路へ
次回はもう少し長い距離を歩きたいと

エリーが北欧のバカンスから戻ってきて

また、講義が始まる




彼女は

ノルウェー、スウェーデン、デンマークの北欧3国を

お友達とエンジョイしてきたとのこと



お土産があるという

サーモンキャビアは日本人は好きでしょ


サーモンキャビア???


と、パッケージには確かにそのように書いてある


イクラ


です






日本のイクラよりも少し粒が小さくて

弾力がある



そして内容物の欄に Grape seed oilと・・・
ブドウの種の油ですね

日本ではあまり馴染みがなかったのですが

バルセロナのスーパーではオリーブオイルの近くに

ごく普通に並んでいたもの




とりあえず

お刺身用のシャケを買ってきて
親子丼にしてみました


photo:02  



エリー!

美味しいよ~


サンキュ!






こちらヒューストンも少しは涼しい日が続いて

街にはなんとなくオレンジ色の飾りが目立つこのごろ




ハロウィンの衣装を用意しました














驚きの妖精です

photo:03


とても丈が短いでしょう?

それにこのヨコシマタイツ

ちょっぴ こういうのをエロカワっていうのでしょうね





かわいいでしょ?








ご安心ください!



ワタクシのじゃないです





東京の娘に送るものです


さすがのBushでも

さすがに恥ずかしいさのかけらもないアメリカにおいても

これをワタクシが着るのは



犯罪




と、言われかねない








でも、ナイショで試着してみました

photo:01



ダンナ、大喜び



バカップルって呼ばれそうです



('-^*)/






























悲しいかな

でも


ハロウィンのカボチャ

photo:01

もうヒューストンはスーパーでも入口に

ハロウィンかぼちゃの山です

このハロウィンカボチャは大きなものは

とても持ち上げることができないような巨大なものばかり


カボチャちょうちんにするにも大変でしょうね

ちょうちんにするカボチャの中身は

パンプキンパイにするのでしょうか?


考えてみるとワタクシまだこの

ハロウィンカボチャを食したことがありません

そもそも、

これって食用ですか?



鑑賞用とかって言うんじゃないでしょうね?


さっそく『ハロウィン かぼちゃ ランタン 料理』

でGoogle検索・・・

よくわからないまま、めんどくさくなってやめちゃいました


カボチャちょうちんじゃなくて

カボチャランタンっていうらしい

確かにランタンだネ


今年はこのカボチャをカービングして

ランタンに挑戦してみようかと目論んでいる


ちなみにフルーツカービングはタイで経験


これはスイカ


カボチャランタンはくり抜くわけだから

かなり力仕事になるかも



こんなハロウィンランタンを彫ってみよう

違うって~

カービングじゃないって!

中をくりぬくのでした






















夜が明けるにはまだ2時間はあるころ


この明りは?

photo:02



不思議な水色



0.6L MIN



アメリカには珍しくメートル法表示?!




引いてみると Zoom out!!

photo:01


ぼんやりとポットが見えますか?


この光が好きで・・

暗がりでお湯が湧くのを待っている時間も楽しい




そして



お気に入りの You know me




このお湯のみは


雅号 【睦】 と彫られている

表面の手触りは土を感じさせる『ザラッ』とした感触

photo:03



何だかよく分からないけれど

ちょっと高価そうに見えませんか?



ある意味、お金じゃ買えない代物




実はバルセロナお友達が

ワタクシのために焼いてくれたもの


こぶりでお湯のみにしては小さいほう


とても大切に

でも、

毎日使わせて頂いています



夜明け前の蒼い時間のお茶もいいもの



お茶を頂きながら

「今月末は逢えるかもね」

なんてバルセロナに想いを馳せ

お友達にメールしているのでした


(^_^)v














秋を活ける
を、明るいところで見ると
うーーん、いい加減さが見えますね

photo:01  




中央のヒマワリも何故か浮いて見える

photo:02  



もっと感性っていうものを磨くよう

精進



深紅のバラと対象的に

菊を中心に活けてみました




photo:01


秋の雰囲気を出すために

暖かめの照明を逆光に





でも、よーーーく見ると・・





中央にヒマワリ



色が統一されていれば違和感がないと・・・

フッフッフッ



自己満でございます