考えすぎ
2016年10月から、 Makot として別ブログでも発信しています。
メルカリ始めました。 → まこっちゃの出品情報
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

「生きる」とは

生きるとは、
自分の人生を自らデザインすることだ。

正義感と排他性

正義感と排他性は、決して切り離すことができない。

世界中に広がったキリスト教主義は強い正義感を育んできたが、
それゆえ同時に多くの戦争をも生み出してきた。
「聖戦」と呼び、その戦争を正当化する心理はこの強い正義感に由来している。

共産主義もまた、提唱された当初は
「貧富の差」が拡大していく歪んだ社会構造を改革しよう
という、純粋な正義感に根差した思想であった。
だからこそ思想的な排他性を免れることができず、
共産主義国家が実質的な独裁体制になっていくことは
既に歴史的に示されている。

多様性を重んじ、排他性を持たないようにしようとするなら、
きっと、正義感を貫く方針では筋が悪いのだ。
本気で豊かな多様性を実現するためには、むしろ生半可な正義感は手離すくらいの覚悟が必要なのだろう。

目指せ、高田純次。

久々に長く伏せってました

久しぶりに大きく調子を崩した。
このところ気を張って動き過ぎていたのかもしれない。
しばらく親元で静養させてもらい、底を打って漸く持ち直せた。
でも、まだ油断は禁物。

助けてくれる人がいることが有り難い。
いつも有り難うございます。

三大欲求

食欲、性欲、睡眠欲。
よく言われている三大欲求。
でも、違和感を感じていた。
「性欲」は、他の2つの欲求に比べて根源的欲求の度合いが弱い気がする。

ネット検索してみたら、
この違和感を持つ人は少なくないようだ。
また、そもそも「三大欲求」というのは
歴史的にも学術的にも特に根拠が明確でない、いわゆる風説の類いだ
ということもわかった。

おそらく「性欲」という字面が違和感の原因で、
ここで言われる性欲とは実際にはフロイトが言い始めた
「リビドー」
のことなのだと思う。
それなら、「性欲」と訳すよりも
「創造欲」
と訳したほうが的確な気がした。
「性欲」は「創造欲」の一種に過ぎない。

食欲、創造欲、睡眠欲。
この3つは確かに根源的欲求だと思うし、
生命力が弱まっている時は、これら3つの欲求が減退する。
しかし、生命力に溢れた人でも、日本語の意味での「性欲」がない人は多い。
特に、生まれて間もない人や、死期が近い人によく見られるが、
この人たちが「リビドー」がないわけでは決してない。

繋がりを断つ時

缶詰めの蓋は、開けると指を切る危険がある。
ガラスも割れれば凶器になる。
石器時代、黒曜石を割った破片を刃物として用いた。

繋がっているものを断つと、その断部が凶暴な性質を持つ例は多い。
精神も同じだ。
窮鼠猫を噛む、と言うが、
破壊された精神が凶暴になることはよく知られている。

一度断たれたものを強引に繋げることは難しい。
だからこそ、繋がりを維持し、保っていくことが肝要なのだと思う。
もっとも、ある繋がりを維持するために、別の繋がりを断つ必要が生じる場合もある。
しかし、その時は不可逆的であることを重々踏まえて慎重に判断しなければならない。

杖道ドウデショウ

脳(少なくとも個人の脳)を鍛えるのには限界がある。
意識ばかりが上滑りして空回ってしまうことも多い。

それならば、いっそのこと
脳は補助的に用いることに決め、身体知を鍛えたほうがいい。
身体知には限界がない。
なぜなら、身体は間断なく世界と直結しているからだ。
身体をうまくつかいこなせることは、すなわち世界を乗りこなせることでもある。

もちろん、己の意志の通りにとは行かないだろう。
ある種、世界に身を委ねることでもあり、
己の意志を放棄することでもある。

ストレスを溜め込むくらいなら、そのほうが健全な生きかたなんじゃないかと最近思う。
杖道を学んでみたい。

「迷惑をかけない」という国民性

新型コロナが日本でそこまで猛威をふるっていない理由は、
「他人に迷惑をかけないようにしよう」
という心理的国民性が、不文律として強く機能しているおかげかもしれない。

マスクは、その象徴に過ぎない。
たいした実効性がないことは初めからわかっていたのだから。
海外からも当初は酷評されていた。アベノマスクと揶揄されていたし。

それでも、マスクがあることによって、
皆、相互感染防止の意識をより一層強めたのだ。



陽性反応があった後に死亡すれば「新型コロナで死亡」とカウントされるようになっているのは、
見落としを防ぐためかもしれないが、
実際には無関係の死因のケースも「新型コロナで死亡」にカウントする余地を含んでいる。

そういう状況であってもなお、
指数級数的な増加はせず、加算的な増加に留まっているのは、
冒頭で述べたような国民性のおかげだろうとしか思えない。
新型コロナ対策は、そのまま風邪予防対策にもなる。
風邪は万病の元とも言われる。
当然の帰結なのではないかとも思う。

既に長年にわたって基礎疾患を持っている人は気をつける必要があるし、
そうした人が生きにくい(息苦しい)世の中にならないように配慮される必要があると思う。

死を基軸に

生きている以上、
死を基軸にしていかなければいけないと改めて思う。
生きることは、死んでいくことなのだから。

生きかたとは、死にかたなのだ。

是認

善人になろうとするな。是認たれ。

存在と認識

認識されることと、存在していることは
同義である。
このことは、量子の研究でも示されているという。

つまり、
誰かの欠点に気付いた時、その欠点を存在させているのは、
その認識そのものである。
これが、「自分が変われば相手も変わる」ということの真の意味である。
相手を変えようとするより、自分が変わるほうが手っ取り早いのだ。

「こんな自分がどうして存在しているのだろう」
と思う時は、
むしろ、誰かに感謝したほうがいい。
自分を存在させてくれている認識が(自分以外に)あるという証拠だから。

自死する人の多くは、存在したくて自死を選ぶのではないのだろうか。
自死の衝撃は大きく、多くの人に認識される。
自ら生きる自由を犠牲にしてまで誰かの認識を得たい痛切な欲求の発露が
自死なのだと思う。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>