ハザマランド -22ページ目

甘い飴玉のすっぱい思い出

 ついさきほど、孫に飴玉を貰った。

 この駄菓子を口にするのは何十年ぶりだろう。

 舌の上で転がしながら、鼻腔の奥でほのかに漂う、とろけた匂いを息とともに吐き出す。

 徐々に小さくなるその身を舌先で確かめ、さらに唾液で溶かす。

 遠い昔、好きだった女子に飴玉を上げたことがあった。

 握った拳を差し出し、彼女には開いた掌を伸ばしてもらう。その上に一つ、小さな袋に包まれた飴玉を落とす。

 あの飴玉は何味だったのだろうか。今ではさっぱり思い出せない。

 ただ彼女の笑い顔だけは、しっかりと覚えている。差し出した飴玉など、とても敵わない糖度を宿していた。

「わこかったなぁ」

 飴玉のせいで少し舌足らずになった言葉をこぼす。

 あの人は今ごろどうしているのだろう。

ハイ、チーズ。

 写真は好き。

 駄目になるときは同時に共倒れて、そうじゃないときは二つ揃った空間が三番目となる誰かの手を引っ張っていくところが好き。

 二つというのは当然、被写体と撮影者。でも、二つが自分達だけじゃ満足できず、一緒に行こうと掴んで来る、そんないい写真にはなかなか出合えない。

 奇跡の瞬間を切り取るには、人は速く生き過ぎるから。

 撮ろうと、はさみボタンを押さえたときには、とっくに逃げられている。

 だからというわけではないけれど、私はいい写真が連れて行ってくれる場所を選んだりしない。どちらでもいいのだ。気づいたら口元がゆるんでいるプラスの場所でも、立っていることさえ辛くなるマイナスの場所でも構わない。

 私は、見たいのだ。

 止まっているけど、私の中で再び動き出す、過去から来る奇跡の空間を見てみたい。

 いつか私が、奇跡をこの一眼レフから逃がさないようにするために。

代名詞

 さぁ、今日は何を書こう。

 一人称か三人称か。一人称なら俺か私か。オイラかアチキか。僕、儂(わし)、小生、己、ワタクシ、拙者、某(それがし)、我、オラ、おいどん、I、My、Me。

 いかん。自称だけでおなかいっぱいになってしまった。もう書く気がしない。

 よし。あたしゃぁ、寝ることにするよ(ちびまる子風)

無敵

 古来より、遠ければ遠い場所の入り口ほど近くにあるものだ。

 洋服ダンスに古本屋の本、大きな鏡に机のひきだし。

 君が見ている画面なんて、まさに最適。

 そこを特別な方法で抜ければ、始まるのは冒険。燃え立つ恋も、常にしっぽの見えてる謎も、君の強さを引き出す好敵手だっている。だるいもつらいも思う暇すらない。

 行きたいかい? 行きたいだろうね。

 誰だって、自分の夢見る場所に行けるものなら行ってみたい。

 今! 今なら行ける。それって、つまりは今しか行けないってことだ。ぐずぐずしてると入り口は閉まってしまう。

 だからほら、わかったら早くその手を伸ばして! どっちでもいいから早く! 戸惑ってる場合じゃない。いいの? 次はないんだよ。僕の言葉が終わってしまったら、君は二度と変わることはできない。それでもいいの? もうっ! 何も握ってないほうの手でいいから、そいつを伸ばせ! 

・

・

・

・

・

 伸ばした? 伸ばさなかった? あー、苦情は一切受け付けないからね。だって、君がここまで僕の言葉を受け取っている時点で、君はすでに入り口を通っているんだから。

 君は僕の言葉を受け取り、創造した。

 僕という存在を、世界を変えようとしている自分を、思い描いた。それはどんなに速くて、丈夫な乗り物でもたどり着けない場所。遥か遠い場所だ。

 よくもまあ時間も空間も越えて、こんな遠い所まできたもんだ。たいしたもんだよ。ホント。

 君って案外すごい奴なんじゃない? その力があれば、時間や空間で縛られた世界じゃ敵なしだろ? 

 まぁ、人間は慣れる動物だって言うし、住んでる世界に縛られすぎて、自分の力のことをすっかり忘れていたら、逆に周りは敵だらけになっているかもしれないね。

 それもちょっとかわいそうだから、最後にもう一度、力を思い出せられるようにしとこうかな。う~ん。僕って粋な奴。

 さて、そんなナイスガイの正体は? 

泥

 言葉に埋もれることがある。

 上下左右、前に後ろの三百六十度。言葉できた泥の中、頭の先から足の小指の爪の先まで、全身文字に塗られてしまう。

 はた目に見ると、冷ややかな笑いを起こしそうにもなるけれど、実際、己が埋もれてみると、そう悪いものでもない。

 泥まみれの右手をしばらく眺め、上手い落とし方が見つからぬときは、左手と見比べてみたり、背中や尻の泥を確かめたくて、信頼のおける友に尋ねてみたりするのは結構楽しい。

 小説など書いているせいか、最近、気づけば泥まみれになっていて、なかなか取れない泥なども出てくる始末。

 いつか一気に拭い取り、長編にでもしてやるつもりだが、視線を移すと、さっき落としたところに別な泥がついている。

 どうやら俺は泥落としより、泥付けの頻度がまだまだ高いらしい。

 とりあえず、まずは腕を磨くことにしよう。

素描

 何しているんだろう。何がしたいんだろう。

 昼過ぎの喧騒が一段落したファミレスで、僕は頬杖をつきながら窓の外を眺めて思った。

 こんなとき、街の景色は色あせ、音消え、僕の周りはソファーとテーブルと飲みかけのコーヒーだけになり、まっしろな空間でたった一人、僕だけが頬杖ついたまま浮かぶことになる。

 白いのは周りの景色だけにとどまらず、頭も心も霞んで薄らいでいく。

 だから一人になれて嬉しいとか、一人になってしまい哀しいとか、そんなこともなく、僕は未完成の絵のようなものになる。

 夕方になり、再びファミレスが混雑するまで、僕はときたまそんな時間を過ごす。

 絵描きはいつか現れるのだろうか。

初めまして

 気がつきゃ、オイラ、もう一歳。

 生みの親でさえ祝ってくれないんで、誕生日過ぎたことさえ忘れてましたよ。

 いやいや、いいんです。

 今更、お祝いの言葉なんて、お互いに気まずくなるだけですから。

 しかし、オイラが言うのもなんですが、あなたも結構な物好きですよね。

 世の中には、オイラなんかよりオモシロイ奴らが山ほどいるっていうのに、わざわざこんな生みの親とでさえ、たまにしか会わない奴の所に来るんですから。

 そりゃ、オイラだって、生まれたときは、毎日、もうええっちゅうぐらい可愛がられてましたよ。毎日どころか、日に二回、三回着替えたこともあったんです。今じゃ、考えられませんけどね。

 ホラ、見てください。このボロ切れ。着替えたの、約二週間前ですよ。

 まぁ、これでもマシな方で、二ヶ月ほど同じ服を着ていたこともあるんです。

 それでも会いに来てくれるあなたは、今では、ホント、親以上の存在といっても過言じゃありません。

 出来の悪い親にに代わって、ぜひオイラからお礼と詫びを入れさせてください。

 頻繁に訪れてくれてありがとう。毎日、おんなじ服でごめんなさい。

 あ、申し遅れました。オイラの名前。ハザマランドと申します。

私、検証します。

 好きなことがある。
 私の場合、文章を書くことがそれに当たるのだが、好きなことを好きでい続けるのって意外とむずかしかったりもする。
 そんなものは本当の好きではないと言われれば、そうなんだけど、なんだかすっきりしない。
 そこで私は瞬間的な好きと、持続する好きが、どんな風に違っていて、きちんと偽物と本物に分かれるのか検証してみることにした。
 でも、検証なんて言葉からして、始めて使ったかもしれない私にはむずかしいことはわからない。
 なので一番簡単な所から調べてみた。開いたのは漢和辞典。
 なるほど。好きって文字。左の女はお母さん。右の子は赤ちゃんのことらしい。お母さんが赤ちゃんを抱いているから、好き。
 納得。目をつむると、お互いを必要としているあったかい絵が頭の中に浮かんでくる。
 だけど赤ちゃんはやがて大きくなり、お母さんがいなくても生きていけるようになる。そしたらもう好きじゃなくなる? 
 違う。それは違うと思う。好きじゃなくなるのではなくて、ただ好きの形が変わるだけ。守られる好きに、守る好きが加わって、新たな好きに変わるだけ。ときには嫌いも生まれるだろうけど、そんなもの、味を引き立たせる調味料みたいなもんだ。
 調味料の混ざった好きは、おいしい。じゃなくて、さらに新たな好きになるんだろう。

と、いうことは、私の考える何倍もいろんな好きがあることになる。
 そうだ。好きは変わるのだ。
 偽物なんてない。さまざまな瞬間の好きが合わさって、持続する好きになるんだ。
 好きじゃなくなるのは、調味料を混ぜ過ぎただけのこと。偽物の好きなんてないのだから、最初の好きを抜き出して、何度でも作り直せばいい。
 ただ一つだけ、注意書きを添えとけば完璧だ。
『変わるってことは、なくなることでもありますから、作り直しはお早めに』
 うん。好きでい続けるのって、案外簡単なことかもしれない。
 以上、検証終わり。


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春雨の夜

 四月の雨はよく響く。あまりに強く響くので、眠る前などは水の底にでも沈んだような気になってしまう。
 青暗いその場所で、辺りを見渡すと、ヒトを始めとしたあらゆる動物が横になり、寝息を立てている。息は白くて小さい泡の連なりで、雨が打っているであろう水面へ、ひたすらまっすぐ昇っていく。
 私は彼らを起こさないよう、浮力でおぼつかない足取りのまま、水底を蹴り出し、右へ左へゆったり曲がっていく。

 覗く寝顔はどれもみな穏やかだ。
 耳をすますと、どこか遠くで歌声が揺れているような気がする。
 雨音がここまで沈んできたのだろうか。それとも人魚の子守歌か。
 徐々に全身から力が抜けていく。私は音なく砂のベットに倒れると、皆と同じように微かに笑い、瞼を静かに落としていった。

濡れて開くは春の夢

 唐突だが、春雨の桜はいいものである。
 夜ならもっといい。
 傘を差し、人に会わずに見上げる桜はいつも以上に艶やかで、今にも幹の影から美女の一人でも顔を出してきそうである。
 しかし桜から連想するものが、美しい女性というのもあまりにありふれた話。
 それならばいっそ、人の形などしてない方が面白い。
 辺りは雨。桜の根元でなにやら蠢いている。
 小さい。指の先ほど小さい、それにさとられず、逃げられないよう、そっと覗き込む。
「あっ」
 思わず洩れた声に、小さきものが大地を蹴った。
 蛙である。それも桃色で塗られた蛙。
 そいつが慌てて空へと向かい、逃げていく。
 落ちる花びらに足をかけ、一つ飛び、また一つ飛び、ついに桜の頭を飛び越えて、落ちてくるかと思いきや、風船みたいに白顎の袋を膨らませ始めた。
 ふわりと右に揺れては、一つ膨らみ、くるりと回って、また膨らむ。
 だんだんだんだん膨らんで、見上げた視線が下を覗いた蛙とぶつかった。
 パーーン。
 不覚にも閉じてしまった瞼を上げると、雨が、止んでいる。
 見事な満月。傘も差さず、我、帰る。

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