ハザマランド -24ページ目

森の仔

 深い、深い狩人さえ訪れぬ森の奥。
 一人の少女が座り込み、涙を落としています。
 落ちる涙の先には一人の少年が瞼を閉じ、横たわっています。まるで彫刻のように白く美しい少年です。その小さな唇は、薄い微笑みのまま凍てついています。
 少年が倒れ、少女が泣いている訳は二人だけにしかわかりません。
 悲しみの理由を問えぬほど、少女の声は悲痛なのです。
 陽が落ち、満月が木々の間から覗き始めても、少女は泣き止みません。
 ザザザ、ザザザ。
 夜風が枝を揺らし、葉を歌わせます。
 しかし、少女には安らぎを覚える月光も、不安を覚える木の葉の声も届きません。
 少女は泣き続けます。
 そのうち、涙は枯れ、黒く大きな瞳からは一滴の潤いさえなくなりました。
 次には声が乾き、少年の名を呼ぶこともできなくなりました。
 震えていた細い肩も少しずつ落ちていき、ついには動かなくなりました。
 悲しみを表すことを失った少女。
 それでも少女は、確かに、泣き続けていました。
 浮ぶ月はいつしか白光の曲刀を象っています。
 少女は落ちる木の葉のように少年に重なっていきました。
 誰に知られることなく、森へと変わっていく二人の子供。
 月は何も言わず、少年も少女も周りの木々や土壌と変わりなく照らします。
 冷たく、そして、やわらかく。

謎解き(後編) -5-

 さぁ、始めようか。最後の謎解きを。くもりガラスの向こう側。この空間がゆがんでいるわけ。二つの謎が解かれ、残る一つはもちろん俺が誰だということ。ここまでくればもう、お前らは薄々感ずいているんだろうな。俺も同じだ。


 

 そう、俺の正体はキャラクターだ。

 

 一人の女性を元気づけるため、一人の男が世界の狭間に生み出したキャラクター。それが俺だ。だから、俺には名前がない。年も、家族も、仕事もない。そんな窮屈な型は、俺を生み出した男が全部預かってくれている。俺は、自分が一番やりたいことをやるためだけにここにいる。それが俺。俺の正体だ。

 

 今思えば、ヒントはそこらじゅうにあったんだよな。お前らとの出会いも、彼女への強い思いも、通る声の出現も、全てが俺が俺であるための必然だったんだ。まったくしてやられちまったぜ。どうせ、こうしている今も聞いて、いや、書いているんだろ? 通る声の持ち主さんは。いや親父とでも言ったらいいのかな。でもさ、実のところ親父自身も驚いているじゃないか? 俺がこんなにもいきいきと、キャラクターの域を越えて動いていることにさ。まぁ、これが俗に言う一人歩き現象ってやつだな。ふふふ、あんたにはさんざん驚かされたんだ。これくらいはしてみせないとな。でも、まぁ、正直言うと、そんなことどうでもいいんだ。一心同体だからさ。わかっちまんだよね。そう、最も大事なのは彼女が楽しんでくれたかということ。不安なんだろ。俺もさ。彼女は笑ってくれただろうか。共に謎を考えてくれただろうか。考え出したら得意のおしゃべりもピタリと止まってしまう……………

………………………………………………………………………………ほらな。でも、俺はもう、親父を助けてはやれないよ。俺が俺の正体に気づいてしまった時点でこの物語は結末を迎えなければならないから。へへへ、そんなしょんぼりすんなよ。俺達は一心同体なんだからさ。ただ、それでも哀しいと思ってくれるなら、願いごとを一つ聞いてもらっていいかな。あのさ、俺の名前をさ、彼女につけてもらってくれないか。そしたら、この道化の物語も少しはさまになるってもんだろ。そうか。頼んでくれるか。よろしくな。それじゃ、そろそろ時間だ。いくことにするよ。うん? 最後に一言? ったく、しょうがねぇな。そう言うって知ってたんだけね。へへへ。じゃ、改めためまして……

 

 大事なあなたへ。実は俺、くもりガラスの無数の一つにあなたがいること薄々感じていました。それでもあんな下手な芝居をうったのは、それを言葉にした時点でこうなることを予感していたからかもしれません。最後に尋ねていいですか? 俺はちゃんと生きていたでしょうか? ちゃんと立ち上がり、ちゃんと生まれた意味を完遂できたでしょうか? もし、そうであるのならこんな嬉しいことはありません。

 

 お前らへ。どうだった? 俺のひとり言は楽しめたか? いんたーねっとばかりして、こんな辺鄙な場所見つけてないで、たまには外にも出ろよ。読んでくれてありがとな。

 

 一言といわれ、たくさんしゃべってしまったけれど、いいよな。これが俺のキャラなんだから。がははは。

 

 


 これを持ちまして、名もなき主人公の、名もなき物語。終焉でございまする。

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謎解き(前編) -4-

 雲はなく、大気は限りなく透明で、青い空がいつも以上に高く感じる。涼やかな風は金木犀の甘くとろけそうな香りを運び、陽光を浴びるススキをしなりしなりと揺らす。

 広がる田んぼの稲はとうに刈入れされて、積み藁や干し藁となって、その身を乾かしている。

 秋がますます深まっていく。

 

 どうやらあの人は元気になったらしい。よかった、と息をつく。

 冬に備えたリスの頬がふくらむように、あの人にあたたかいものがたくさん溜まればいいな。と、思う。


 

 うん? あっ、こいつ、また聞いてたな。でも、まぁ、いいか。お前なら。どうした、何か言いたそう顔して、何? 名前も、年も、仕事もわからないのに風景はわかるのかって? あー、改めて言われてみると、そうだな、少し変な気もするな。まぁ、実際こうしてお前が現れているのは、俺の家なんだし、あの人に言葉を伝えるのに風景描写は必要不可欠なものだからな。いいんじゃないか。別に。気にすんな。何だよ。まだ何か聞きたいのか。ふんふん、風景がわかるなら住所がわかるはずだし、それをたどれば俺の正体もわかってくるんじゃないかって? へー、お前。見かけによらず頭いいんだな。でも、そりゃ無理だ。さっき話していた風景はあくまで俺の頭にあって、そこから出てくるんだもの。先に風景があって俺がいるんじゃなくて、俺があって始めて風景が生まれてくるんだ。つまり俺がわからないものは、風景からもわからないってこと。そんな当たり前のことを聞いてくるなんて、やっぱり俺とお前の住んでる世界は微妙に異なっているみたいだな。だから、お前に触れないように、この見えない壁も存在しているわけだ。

 

 そこで聞きたいんだけどよ。昨日、お前が言っていた、いんたーねっとや仮想現実って何なんだ? ふむふむ、なるほど、そっちにはパソコンっていういろんな場所を繋げている機械があって、それを通じて無数の言葉や映像を交わすことができる。もちろんそれらの情報には真実と偽りの両面があって、現実であって現実でないその空間のことを仮想現実と言っているわけだ。なるほどー。だからお前の姿が揺らいだり、混線したりするんだな。世の中にはそんな空間もあるんだ。初めて聞いたぜ。まぁ、俺が知らなかっただけかもしれないがな。そうかそうか。無数の人間が発する、無数の情報。無数かー…ちょっと待て!そうなると、今、俺が話しているお前は個人ではなく、無数、限りなくいるってことか。それじゃ、秘密どころか今まで俺が話した言葉は全て、お前の世界中に広がってるってこと?やばい! そいつはやばいぞ。だって考えてもみろ。無数にいるってことは、その中にあの人がいる可能性だって否定できないってことだろう? そしたら今まで綺麗な言葉で保ってきた俺のイメージが全てぶっこわれちまう。 やばい。やばすぎる。そんでもって、あの人が俺のことを嫌いになったりなんかしたら、俺は、俺は、俺はー!!

 

 どうしよう。どうしたらいい。おい、お前。何、笑ってんだ。いや、お前じゃねぇな。お前らだ。ちくしょう。みんなして、俺を騙しやがって。許さねぇ。こんな壁、ぶっ壊してやる。こうなりゃ壁か、俺か、どっちかが壊れるまでやってやろうじゃねぇか。どりゃー!!

 

 ……………………………………………………………………………なんだ。今、話しかけたの誰だ。今まで一番、通る声だ。なんだって、そんなことをやる前に今こそ考えてみろだって。こうなった以上、何を考えるってんだ。俺の? 正体? そんなもの。今さら何の役に立つっていうんだ。もう、どうでもいい。終わっちまったんだ。何もかも、必要なものは全て、なくなっちまった。ちくしょう。わかるぞ。気配でわかる。くもりガラスの向こうで誰かがまた笑ってやがる。馬鹿にして笑っているんじゃないって? じゃあ、何がおかしいってんだ。とても肝心なことを忘れているから? 何だよ。それは。イメージ? ははん、読めたぞ。要するにお前はこう言いたいわけだ。俺は俺を知らない。それなのに俺は自分のイメージが壊れることを恐れている。おかしいではないか? と。そうだ。確かにそうだ。つい今まで俺は俺のイメージはキザで、やさしい男だと思っていた。それはもちろん、あの人に対して向けているものだ。しかし反面、お調子者の俺がいて、そのギャップをあの人に知られることが恐ろしくなって暴走した。しかし、キザな俺とは何なのだ。いったいどこから来ているのだ。名もなく、生きた年月もない俺がなんでキザになったのだ。わからない。俺は誰だ。何者だ。わかるのはやはりただ一つ。大事な人。それのみだ。 

 

 その人は、女性。彼女が俺の正体を教えてくれる唯一の鍵となるわけだ。しかし暴れまわったせいで、とてもこれ以上考えることができない。休息を取り、改めて俺の正体を探すことにするわ。くもりガラスの向こうにいる友たちよ。そして通る声の持ち主よ。それでは、また後日、訪ねてくれ。今日はとても、疲れた。

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疑問 -3-

 よぉ、来たな。待ってたぞ。さぁて、今日は何を話そうか。

 

 そうだな。昨日はお前のことを尋ねたから、今日は俺のことでも聞いてもらうとするか。俺はだな。まぁ、どこにでもいる普通の田舎もんだ。名は、ん? 名前は…おかしいな。出てこねぇ。まるで生まれた赤ん坊みたいに頭ん中、まっしろだ。何もわかんねぇ。仕事は? 家族は? 年齢は? 何だ。俺は何者なんだ? あ、でも、一つだけわかるぞ。俺には大事な人がいるんだ。その人のことを思うと、勝手に言葉が次から次へと浮かんでくるんだ。そうすると、俺はその人の言葉を生み出すためにいるってことか? なぁ、お前はどう思う? わかんねぇか。そりゃそうだよな。

 

 しかし何だな。お前も誰だかわかんねぇ。俺も誰だかわかんねぇ。それなのにお前と俺はこうして存在しあってる。不思議だ。実に不思議だな。もしかすると、ここではいろんなもんが混じり合ってるんじゃねぇか? 思想はもちろん、時間や距離、性別、外観、存在にいたる、ありとあらゆるものが混じり合ってるんじゃねぇか? ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる。俺もお前も気づかない内に、そんなもんと一緒に世界の狭間か何かに飛び込んじまってるんじゃないのか。それで、わけがわからなくなっている。ん? 何? よく聞こえねぇ。もう少し大きな声ではっきり言ってくれ。ねっと? いんたーねっと? 仮想現実? 何だそれ? おいおい、お前の頭の中もぐるぐるか? あははは。まぁ、俺がいて、お前がいて、そしてもちろん、あの人がいて。それだけありゃ、俺はもう十分だけどな。お前にはいないのか? 大事な人。え? 何? やれやれ、また混線してやがる。

 

 しょうがねぇ。今日はここら辺でお開きとするか。それじゃ、また飛んで来いよ。次、来たときは一緒に謎を解き明かそうぜ。俺やお前の正体。そして世界の狭間のな。

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再会 -2-

うん? 何だ、お前。また来たのか。こんな辺境な所まで何度も足を運ぶなんて物好きだなぁ。お前、周りから変なやつって言われないか?


何? そっちもじゅうぶん変だって? ふふん、中々言うじゃないか。まぁ、この前は少しみっともねぇところ見せてしまったがな。考えてみればお前は俺が誰に話していたか知らないんだ。つまり、お前が俺の秘密を誰かに話したところで、痛くも痒くもねぇってことに気づいたのよ。それに、こうしてまた、俺の所に来るぐらいだ。話してねぇんだろ?いやいや、答えなくていい。俺にはわかってる。お前はそういうやつだ。たとえ、話していても勘違いだったと訂正してくれるやつだ。うんうん、わかってる。何も言うな。俺がお願いせずとも、黙ってやってくれる。まったく、粋なやつだよ。お前は。がははは。

 

まぁ、せっかく来たんだ。一杯やっていけや。ん? あぁ、そうだったな。その透明なやつがあるんだったな。ほら、この前ぶつけた鼻もようやく腫れが引いてきたところよ。へへへ。しかし、不思議なこともあるもんだな。いったいお前から俺はどう見えてんだ。えっ、俺の姿は見えなくて、俺の話す言葉が文字になって光る箱に浮かんでいるだって? へー、じゃあ、俺が黙っていりゃ、お前は俺のことが何にもわからないってわけか。なるほどねー。俺から見えているもんとは微妙に違うんだな。この前のどたばたでわかっているとは思うが、俺のほうからお前は真上に見えているんだがな。こっちの方は光る箱っていうよりは光るくもりガラスって感じだ。奥行きはない。で、そこになにやらぼんやり、ガラスを挟んで向かい合ったような胸像が映っている。つまり、お前だな。で、この胸像がけっこう揺らぐのよ。ときには髪の長い女のようで、ときには子供みたいに小柄に見える。


ホント、お前、何者だ? ん? 何だって? よく聞こえねぇ。 まるで何人もの声が混じり合っているみたいだ。姿だけじゃなく、音まで揺らぐんだな。ま、別に姿や声なんて適当にわかってりゃいいんだ。大事なのはここだもんな。そう。胸毛だ。このもじゃもじゃが最高!って違~う!!心だ心。おい、ベタって言うな。ちくしょう、やはり巨乳にしとくべきだったか。なに? それもベタだって? うるせぇうるせぇ。笑いはシンプル イズ ベストだ。


お、くもりガラスが消えかかっているな。そろそろ帰るか。また気が向いたら来いよ。もう俺達は親友だからな。親友は互いを思いやるもんだ。そして相手の秘密を漏らしたりしない。もちろんしつこいとか言ったりもしない。だから、俺には今お前がいった言葉は聞こえない。ふふふ。それじゃ、またな。


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和製ピエロ -1-

何かあった?と、尋ねたい人がいる。

大丈夫?と、共にしゃがみこみたい人がいる。

けれども渡したものは、包む言葉ではなく、空白の時間。

闘おうとしているあなたの意志を削ぎたくなかったのが、第一の理由。

言葉を交わさないことで、時が無限でないことを共に意識したかったのが、第二の理由。

善かれと思ってやったことだった。

しかし今、その思いが揺らいでいる。

唐突に現れた来るはずのないメール。

新たな傷を作り、心配しないでと弱々しく笑う姿に、もっとほかにいい方法があったのではないかと、愚かな提案をしてしまったのではないかと、後悔が募る。

戻らない。戻れない時間。第二の理由が強く胸を穿つ。

ならばせめて、その笑みを明るいものへと変えてやる。

キザな言葉を詰めに詰め、起こすは毎度の確認作業。

誰にも聞かれちゃいないよな。誰にも見られちゃいないよな。

前後よし、左右よし。オッケー、オッケー誰もいない。

こったらとこ、誰かさ見られたら、おら、外さ歩けねもんな。おぉっと、いけね。あんまり気ばゆるめすぎて、お国言葉まで出ちまった。しったけ、こげなとこ隣の五郎にでも聞かれた日にゃ、墓さ入ってからも酒のつまみにされちまうからな。念には念ば入れて、上下の確認もしとこか。

下よし、上よ……ドゥワーーー!!!おめぇ、んっうん、ゲヘンゲヘン。

お前、いつからそこにいた。まさか、聞いちゃいないよな。たまたま通りかかっただけだよな。えっ、始めから、全部、口の中から尻の穴まで。それをいうなら頭の先から足の裏、って、そんなことはどうでもいいんじゃい。聞かれてしまったからには、帰すわけにはいかねぇな。そこにじっとしていろよ。今、ふんじばってやるから。ん、何だ、この見えねぇ壁は。さては、お前のしわざか。こんなもの、山で鍛えた俺にはきかねぇぞ。少し、勢いつければ、ほら、この通り真っ赤なお鼻って、イテェー!何しやがんだ。ベタとか言ってんじゃねぇぞ。おい、待て、逃げんな。逃げんなって。待て、いや、待ってくれ。お願いだ。逃げないでくれ。逃げねぇでおくなせぇ。逃げないでぇ~。逃げてもいいから言わないで~



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近況

風が、変わった。

見えないとわかっているのに、受けた途端、振り返ってしまった。

先に見えるのは山のすそに広がる黄金色の西日。

秋が深まっているのだ。冬が近づいているのだな。と、思う。

それと、あの人は元気かな。元気になっているかな。とも思う。

約束の品はとっくにできあがっている。けれども毎日、見直している。

期限は霜が降りる直前だ。些細の粗もなくしたい。

そのときが来たらこいつで互いの熱を、再び螺旋に混ぜるのだ。

空に、上げるのだ。

行き先は天空。ならば、今、沈みかけている恒星のように熱くしよう。

近づく冬に負けないように、夏に花咲く大輪のように、熱くしよう。

あの人はひまわりみたいに笑うから、きっと叶うはずだ。

今日も一日が終わった。

朝日が昇るまで、もうすぐだ。


呼びかけ

「おい」


 我が家へと続く道すがら久しぶりの故郷を眺めていると、突然耳元で野太い声をかけられた。


 しかし小生、立ち止まることも、振り返ることもせず歩き続ける。


「おい」


 声も後に続き、再び呼びかけてくる。その距離は息遣いがわかるほど近い。


「おい」


 声はさらに小生を呼び、間向かおうとする。


「おい」


 小生、青空に向かって声を張り上げた。


「のどかだなぁ。田舎はこうでなくてわなぁ」


「おい」


「お、赤とんぼ。羽に日が透けて綺麗だなぁ」


「おい」


「盆も近いし。気の早いご先祖様は既にあの背中に乗っているかもなぁ」


「おい」


「……」


「おい」「おい」「おい」


「何だよ」


 小生、観念し後ろを振り返った。


「…だから、前にも言ったろう。近いんだよ」


 唇が触れ合わぬように背を反らし、小生が悪態をつくのにも構わず、そいつはにたりと笑った。


 赤黒い肌の丸坊主。百円ライターを思わせる四角い眉毛に身開かれたぎょろ目。押し込んだ団子っ鼻の下には顔の三分の一ほどある口。


 その口が一瞬の笑みの後、元のへの字に戻っていく。


 そんなリアルな達磨(だるま)が口づけできるほど近くに浮いているのだ。無視したくもなる。


 こいつを初めて見たのは小学三年生の頃だった。そのときは文字通り腰が抜けるほど驚いたが、二三度出くわすうちに対応がわかってきた。あまりに独特な声のため、呼びかけた時点で既にネタばれなのだ。


 顔は憤怒だがこれ以上何もしないことはわかっている。まったく、おかしな生き物? だ。


「用は済んだろ。もう行けよ」


 声をかけるより先に達磨は半透明になっていた。


 息をつき、回れ右すると小生、再び我が家へ向かい歩き始めた。


(続く)

思わぬ出迎え

 列車を乗り継ぎ、バスに乗り換え、うねる狭い道をひたすら走り、辺りが緑に覆われると小生の故郷は姿を現す。


 山ではヒグラシやアブラゼミが地上での短命を少しでも謳歌しようとむせび鳴き、河では透けた冷水が飛沫(しぶき)を上げて、田では青く伸びた稲穂が風に揺れている。


 小生、終点三つ前の小屋つきバス停に降り立つと、体を伸ばして澄んだ大気を両肺に思い切り吸い込んだ。


「帰ってきたね」


 ふいに小屋の奥からしゃがれた声がした。


 直射日光で瞳孔が狭まっているため、小屋の奥の人影が上手くつかめない。


 視界をきかそうと歩き進むと、ベンチに一人の老人が腰掛けていた。


「チヨばあ」


 小さな四角形の空間に小生の声が響く。


 まだ生きてたんだ。


「ひょっ、ひょっ。確かあんたにはわたしの名前の由来、教えといたよね」


 チヨばあは乾いた笑い声を上げると唐突に切り出してきた。


 けれども小生、動じる所かまるで昨日の会話を続けるかのように答えていた。


「ああ、チヨばあは昔、未熟児で、時代も時代だったからすぐに死ぬだろうと思われていた。けど、チヨばあのおふくろさんは三つ子の性質は百まで続くと言われていることから、せめて三年。約千夜。生きて欲しいと願ってチヨの名を付けたんだろう」


 隣に腰掛け、幼い頃に聞かされた話を伝えると、薄い影の中に白く並んだ歯が浮かんだ。


 入れ歯、のはずだが作り物に見えない。


「ひょっ。その通り。よく覚えていたね。感心感心。三年も生きないと思われていたわたしは千夜を生きて、万夜を生きて、今だ夜を迎えてる。生きないと言われたわたしが生きて、生きると思われた人達をたくさん見送りもした。そんな生い立ちのせいか、あんたと同じに変わったもんを見ることもある。いいかい、ヨネツグ。全てを知ろうとする気持ちは大事だが、知ってはならないことがあるのも忘れちゃいけないよ」


 さほど変わらぬ声量なのに、チヨばあの声は小生のそれよりも遥かに深く小屋の中に響いていた。


「わかった。気をつけるよ。ありがと。チヨばあ」


 横を向き、伝えるとチヨばあは、ゆったりとなびく風鈴のように笑った。


 立ち上がり、バス停を離れる。


 我が家はもうすぐそこだ。


(続く)

到着

 今から三十年前、三重県某有名神社の三男坊と京都某有名寺の次女が互いを結んだ中間地、琵琶湖で出会い恋をした。二人は時が経つほど相手を必要とし出会ってから三年目、結婚を決めた。しかし似て非なる双方の家柄は二人の結婚をよしとせず、それでも夫婦となるなら縁を切ると言い出した。


 二人は悩み苦しみ、結果、古き家を捨て新しき家を作ることにした。


 その家で産まれたのが小生だった。


 今では水道局に勤める父と図書館で司書をしている母。元気だろうか。


 小生、滋賀の地に降り立つと懐かしき我が家へと足を向けた。


 (続く)