私が物心ついた時から瀬戸内海に浮かぶ島で『瀬戸内芸術祭』の文化は生まれていた。町おこしならぬ島おこしの一環としておそらく行われているのだろう。
美的感覚が乏しい私は毎年のように行われている文化へ関わる事なく過ごしてきた。近い将来もしかすれば何かのついでとして関わるかもしれない。
別の所用で小豆島へ来た私はエンジェルロードという浜辺のポスターを見つけた。どうやら近くの施設で『妖怪美術館』なる催しを開催しているようだ。
小学生の頃は『ゲゲゲの鬼太郎』の影響か妖怪関連の本を読んでいた気がする。今の小学生も『妖怪ウォッチ』に感化され好きな時期だろう。
昔、近所にカッパの池と呼ばれている池へキュウリを投げ入れた思い出がある。住んでいる土地柄、妖怪より亡霊の話ばかりだった。
酔って路地で寝ていたら武士を乗せている馬に蹴られたなど怪談話は昔から盛んに広められている。
高速艇に乗船する時間はまだ数時間も先なので鑑賞する事を決めた。同行者の不在だからこそ急な予定変更が出来る。
約3000円の入館料に驚きつつもドアの暗証番号が書かれたパンフレットを持ち迷いそうな街路を歩いた。
よほどアプリのガイド機能を使わせたいのか様々な場所で音声ガイドが聴ける。令和の美術鑑賞はこれからこうなっていくようだ。
ソーシャル・ディスタンスや3密などを考えればこういう形式になる事は致し方ない。スマートフォンの充電が減ってしまう事は由々しき問題だ。
最近巷で話題となっているアマビエの絵も展示されていた。コロナ渦でなければこのアマビエなる妖怪は注目されていない。
龍のような鱗が着いている謎の妖怪はアレだけ妖怪の本を読んでいた私の知識内にない妖怪だ。アイヌ民族が信じていた神のような存在だろう。
アマビエが東京オリンピックまでにコロナ渦を終息させる事は信じていない。しかし遠くどこかから観察しているだろう。
こうして妖怪関連の展示を堂々と行える理由はやはり日本人が古代から培ってきた感性のおかげだ。
ラヴクラフトの『クトゥルフ神話』のような禍々しさを妖怪から感じない。外なる神や旧支配者と違い身近に潜んでいる。
小豆島のすぐ近くに鬼ヶ島のモデルとなった島である女木島もあり魑魅魍魎が跋扈していた。
夜の山に響く木を切り倒す音は天狗の仕業や下駄が地面へ当たる音はかさかさ小僧の足音など昔から言い伝わっている。
人間界の理に関係なく妖怪は何百何千年も存在し続けると改めて認識させられる興味深い展示だった。