2012年3月に初めて狭心症発作を起こした時のこと。その日は特別に寒く、早朝から重要な顧客が来訪するということで「何か体調悪いな」と思いつつ出社した。で、緊張の会議が終わって自分の机に戻ったら、息が苦しくなって胸が強烈に痛む。思わず床に横たわったが改善されず、早退することにした。
会社から最寄り駅に向かう途上で、息苦しさと胸の痛みのほかに喉元が塞がるような感じがしてきて、眼の前が暗くなって歩けなくなった。意識がどんどん狭まって真っ黒に塗られていくような、今まで体験したことがない状態になってきて「あ、これ死ぬかも」と思った。携帯電話で救急車を呼ぼうかと頭によぎったものの、翌日に伊豆熱川で温泉旅館を予約していて、特急踊り子の席も確保していた。「病院に運ばれて入院になると、キャンセル料がかかる」と、踏ん張ってノロノロと歩き続けていたら、少しずつ治まってラッキーだった(熱川にはしっかり行った)。
後になって考えてみると、三途の川とか死んだおばあちゃんとかは出てこず、ただひたすら闇に飲まれて意識が狭まる感覚だったので、巷間で言われるような最期を私が遂げるのは無理なようだ。
よく言われる「死ぬ間際にはこれまでの人生が走馬灯のようによぎる」というのは、生命の危機に瀕して脳が異常覚醒し蓄積した記憶から生き延びるパターンを意識外で高速検索しているからだ、とネットのどこかで見た覚えがある。なるほど合理的だと感心したものだが、そういうのも自分にはなかったのでそこはちょっと残念。