ちょっと自分語り | ALS記

ALS記

2023年2月13日に診断されて、現在進行中。とりあえず仕事は続けています。進行がとても遅い症例のようで、その状況を記録して発信していこうと考えています。

 記憶の中で、時間と場所がはっきりしている最初のものが保育園の入園面談。2年保育だったので4歳の時で、入園の手続きと確認で母と一緒に園長室に行った。で、とにかく泣き喚いて入園を拒んだのを今でも強烈に覚えている。最初はニコニコと対応していた園長先生が、最終的に鬼のような形相になって「入らなくていい」と突っぱねるまで頑張った。結構時間がかかったけど、達成感があった。

 

 何でそこまで拒んだかは論理的には判らない。ただ、遠くから見た教室で園児が机に全員座っている様子が恐ろしかったのが大きい。あの空間には入りたくないと強く思った。

 

 結局帰宅となり、私は「これで逃げられた」と上機嫌だったんだけど、母親が居間の窓際に座り込んでしまって「お前がこんな子だと思わなかった。もうどう育てたらいいか判らない」とボロボロと泣き始めてしまった。それを見て「あ、これは逃げられないんだ」と思って、通園を約束した。そして頑張って小学校・中学校と律儀に通ったのだが、正直言って暗黒時代。本当に組織と相性が悪かった。

 

 ちなみに、保育園では「お昼寝」という謎の仮眠時間が設定されていて、寝た振りをしていないと怒られた。時間が無駄なので自由にさせてほしいと交渉してみたが、「決まりだから変えられない」とバッサリだったのが悔しかった。

 

 それよりも参ったのが昼食時に出る飲み物で、麦茶と牛乳が交互に出された。牛乳は未だに苦手だが、保育園のやつは温めたやつで最悪な代物。温めた牛乳は気分が悪くなるので水に変更、もしくはスキップしてもらえないかという要望を何度も出したのだが、これも「規則だから」という理由で却下された。

 

 この後の小学校でもややこしい学校独自ルールだとか、クラスの派閥とか色々あって辟易したが、中学校になるとより悪化していく。当時は『ツッパリ』なんてものが流行っていたし上下関係が異常に厳しかった。未だに原因は不明だが、私は先輩やらツッパリやらと相性が悪くて、常に睨まれていたし殴られたりもした。「意気がってる」「調子に乗ってる」と彼らは言うのだけど、何をそんなに目くじらを立てているのか判らなかった。今にして思うと、基本的に組織に興味がなかったからかもしれない。

 

 それもあって、高校は親が期待したところからランクを落とした学校に入った(越境して難しいところを受ける代わりに滑り止めは手堅く行こうという展開にして、親と教師を納得させた)。ここから徐々に楽しくなってきて「あー、これでいいんだ」という方向性が見えた。当然大学も楽なところにして、仕事も小さい出版社の編集者から始めた。

 

 ただまあ、転職を繰り返して段々大きな会社に移っていくと、段々と部下がついたり責任が重くなったりなんかして、居心地が悪くなっていく。ここからは逆転の発想で、実績を上げることを交換条件に、組織的な行事からバックレても許されるポジションを確保する戦いだった。

 

そして、この3月で完全に役職定年で外れられた。入園拒否から半世紀かかったものの、やっとフリーで仕事ができるのは楽しい。のだけど、このボーナスステージがそんなに長くはないのは何とも皮肉。