尾白川渓谷から韮崎中央公園EF15-198電気機関車へ | Bunny The Flat 【including 徒然鉄】

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滝巡りや秘境探検を主に活動しています。
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山梨県北杜市の尾白川渓谷にきましたよ
ここはグレの健脚時代から一度来てみたいと思ってたとこで、
遊歩道から千が淵を経て、いくつかの滝にアクセスできる魅力的な場所なんだけど、
ほど近い石空川渓谷の北精進ヶ滝 

を第一に考えていたので、その制覇後はちょっとこのエリアからご無沙汰してしまいました。
果たしていまのグレにはどこまでいけるのかな?
とワクワクしながら行きましたが、きれいな渓谷を見おろす吊り橋を渡った先で車椅子ではギブアップでした。
千ケ淵くらいまでは行きたかったな…ましょうがないか。

でもきれいなサワにおりてあそべるので、わたしテキにはここまででもぜんぜんオーケーですよ!
ああやっぱりハクシュウのケイコクらしいスんだきれいなおミズがながれていますね!

タキにはいけなくても、コウヨウをながめながら
きれいなおミズとたわむれてあそべるのはうれしいです!

ここまでならほぼバリアフリーでこれましたよ!

さあ!ではいつものやつ、いきますよ!

きしがやわらかいスナチなのであそびやすいです!


ほんとキタショウジンガタキのイシウトロガワをおもいだすなあ!あそこもまたいきたいなあ!イチのタキくらいまでだったらいけるかなあ?

なんてことをかんがえながら、

みなみアルプスのクリアーてんねんすい、たんのうしました!

あるきジカンがみじかかったから、ジカンがあまっちゃいましたね?
パパ、このへんでほかにどっかいきたかったとこありませんか?ほら、テツけいとか?

というわけでグレに言われて思い出した、車で少し南下した韮崎市の中央公園にきましたよ!
ここにずっと会いたかった旧型電気機関車が静態保存されています!EF15です!
EF15形は、日本国有鉄道と運輸省が、1947年(昭和22年)から1958年(昭和33年)にかけて製造した貨物列車牽引用の直流電気機関車である。
第二次世界大戦終結直後の輸送需要に対応するために設計された貨物用機関車で、1947年から1958年までに202両が製造された。
駆動方式は吊り掛け式のいわゆる旧型電機だ。
貨物輸送の多くが鉄道に委ねられていた昭和時代、首都圏近郊ではEF58型とともに、非常にポピュラーに目にした車両である。
看板を読もう。
EF15-198号は、 昭和33年10月東洋電気会社及び汽車製造会社で製作されて愛知県にある稲沢第2機関区に新製配置され、東海道本線に使用されましたが、 昭和38年10月米原機関区(東海道線)、 昭和39年9月岡山機関区 (山陽本線)、 昭和44年10月 宇都宮運転所(東北本線)、 昭和53年10月八王子機関区(中央線 南武線、武蔵野線) の各区に配置替となり、 昭和56年11月甲府機関区に配置され身延線の貨物輸送に活躍 しました。 
その後、昭和58年3月立川機関区にも移りましたが、使用開始後26年余り の間約212万キロメートルを走り続け、 昭和61年2月EF15型としては本邦最後の1 両として廃車指定となりました。 
●規格
全長17メートル 高さ4メートル 幅2.8メートル
重量約100トン
電気方式 直流1500ボルト

いやーすごくゴツいキカンシャですねえ!
前述した通り、雪国でも活躍した証、窓の上の大きな庇と足元の巨大なスノープラウが、デッキ付きの旧型電機のゴツい魅力を更に高めている!
ただ、茶々を入れるようで申し訳ないが、僕はこの機関車の晩年に会っているのでわかるが、このスノープラウは静態保存に際してどっかで残ってたものを取り付けたんだろうと思う。

というのもこれが甲府機関区時代に僕が撮影した198号機だ。スノープラウは付いていないのがわかる。
看板によればその後昭和58年に立川機関区に配転され生涯を全うしたとされるが、それに際しスノープラウが付けられたということも恐らくなかっただろう。
立川機関区は昭和末期に消滅している機関区で、青梅線の石灰石輸送を主目的としてED16,EF15が配備されていた。
かなりのマニア向けになるがそこの転帰について詳しくは下の記事後半に記録してある。


で、僕の住んでいる根岸線沿線でも根岸の石油タンク輸送でしょっちゅう目にしてたEF15なのに、なんでわざわざ甲府まで撮りに行ったかというと

80年前後、当時中高生だった僕は足繁く身延線の戦前型旧型国電の撮影に通ったからだ!

身延線は東海道本線の富士駅から富士山を望みながら

富士川に沿って北上して

中央東線の甲府までを結ぶ山岳ローカル線だ。

その旧型国電撮影の合間に、外道というか、バイプレーヤーとして登場したのが
身延線の貨物輸送を担っていた甲府機関区のEF15だった。

EF15はそんなわけで当時はおまけ的な存在だったから、残念ながら真剣には撮らなかった。

それでもこうして当時の写真を見ると、EF15は国鉄の一時代を支えた立派な存在だったと思う。

旧国最晩年、1981年の富士電車区。EF15と肩を並べる中央のワイン色の115系2000番台の新車たちでさえ、現在は新潟あたりで風前の灯だと聞く。

そして旧国なきあとの甲府から終の棲家として転籍した今はなき立川機関区で、右のED16を置き換えた左のEF15。しかし彼らのその後の余命もいくばくもないものだった。
ここでは198号機には会えなかったか、或いはED16狙いだったので見てもスルーしてしまったのか、当機の写真はない。

これは同時期に上越水上で撮影したもの。青いEF64の次位にEF15または高出力型のEF16が重連されている。水上機関区の車輌は全車スノープラウが付いていたことを覚えている。

ああ、回想していたらまたずいぶんマニアックになってしまった。
あの時代の、それも地味な存在だった貨物専用機が、こうして保存されてトワイライトな気分に浸りながら青春時代を回想できるなんて嬉しい限りだ!

古の廃機関車はデロリアンになって僕とグレを乗せてタイムスリップに連れてってくれた。

EF15-198、また会えてよかったよ!

さてそれではぐるっと見学しようか
簡素な椅子、削り出しのマスコンハンドル、木の扉、レトロ感満載だ!
後ろにはトラ3両とヨが繋がれている。
まさかこんな2軸貨車もが貴重な遺物となる時代が来るなんてね。

まさに昭和の身延線のカモレそのものだ!

さあ!一緒に歩いて堪能しようか!

昭和の貨物輸送を支えた寡黙な野武士たちの現在の姿です

国鉄トラ70000形貨車は、国鉄が1967年(昭和42年)から製作した17t 積の貨車(無蓋車)で5100両が製作され各地で汎用的に使用された。
鉄道貨物輸送の縮小、コンテナ輸送の進展などから漸減していき2003年までに全車が廃車された。
最後尾にあるのは緩急車(車掌車)ヨ5000だ!
国鉄ヨ5000形貨車は、国鉄において1959年(昭和34年)から1968年(昭和43年)頃までに製造した事業用貨車(車掌車)である。
国鉄の主力車掌車として北海道を除く全国で使用されたが、1986年(昭和61年)に貨物列車の車掌乗務が原則廃止されて一部の車両を除く全車が廃車された。

地味だが、これらが戦後日本の高度成長を支えたと言っても過言ではない。

それではまた機関車の方に戻ろう


紅葉の渓谷と鉄のトワイライトゾーン堪能したね

あの頃夢中になったもの、輝いていたもの、
彼らも僕らと同じ数だけ歳をとり、
自然の摂理のようにやがて淘汰されていくが、
こうして人々の思い出とともに形を遺すものがいる。

グレとの大切な今この一瞬に、僕の半生を重ねて共有できるなんてほんと感無量だよ!

40年振りの再会、EF15-198でした!
1980年5月 国鉄身延線 波高島〜下部 EF15-198