下田市 柿崎海龍特攻基地 (藤澤海軍航空隊) 【前編】 | Bunny The Flat 【including 徒然鉄】

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下田市の柿崎地区、下田湾の弁天島にほど近いあたりに来ましたよ。
県道須崎柿崎線を須崎方向に歩いて行きますよ
お正月にこの先の爪木崎でSUPしたんだけど、その途中気になる穴を見つけたので、速攻勉強して再訪したってわけです!

くんククク!あなってこれですか?

こないだ見たのはこれじゃないけどこれと似たような感じだったな!

ひとんちのウラだからちょっとタンケンしづらいですね…
写真では伝わりにくいですが高さは10m位ある大型の壕です!ここは民家裏なのでサクッと撮影したら道路に戻ります!

すぐその先に、見覚えのある壕がありました!これだ!自動車比で、いかに大型の壕かがわかるでしょう!?
くんくんっ!?つよいセンセキのにおいがします!

周囲は護岸で固められているが壕だけは手つかずだ!

わたしはここでミハってますから、パパはなかをみてきてください!

これは紛うことなき旧日本軍による壕だ!
幅5〜6m高さ6〜8m長さ20mほどといったところか。

振り返ったところ
末端は上下2段に掘られている。
おそらく切削途中の未完成壕で、上下で掘ってから繋いで高くしたんだろう。
梯子と支保があるがこれは近年のものだろう

ここでの動画です


これだけの壕があるということはこのあたりは旧軍基地だったに違いない!

もっとウミにちかいほうからおびただしいセンセキのにおいがしてきます!
わたしはいままでたくさんのトッコウキチにいきましたが、とりわけアブラツボでかいだにおいにチカいです!

なるほど油壺といえば震洋・海龍特攻基地 か!

ということはあれ以来の海龍 基地の探索になるね!


ここで2021年の静岡新聞 のこの記事を見て欲しい。

マニア向けにも充分なる記録が記されているので抜粋要約する。
旧日本海軍の2人乗り特攻潜水艇「海龍」とみられる船体が下田市の恵比須島の南西約800メートルの海底で見つかった。

大戦末期、下田には米軍の本土上陸作戦を想定した海龍の基地があり、周辺では1999年と2015年にも海龍が見つかっている。
見つかった船体の長さは約17メートル、幅約1メートルで水深約35メートルに沈んでいた。
艇首は下田港とは逆の南東方向を向いていた。
下田の基地には海龍計十数艇の配備計画があったとされ、終戦直前に横須賀から沼津の基地に向かった数艇のうち1艇が須崎付近の海岸で座礁し動けなくなり行方不明となっていて、2015年にはこの1艇との関連が指摘された。
とのことだ。

特殊潜航艇・海龍 について詳しくはwikiを見て欲しいが、

大日本帝国海軍の二人乗りの有翼特殊潜航艇・水中特攻兵器であると記されている。

開発段階では機密を図るため「SS金物」と呼ばれ、横須賀海軍工廠などで終戦までに224隻が建造された。
特殊潜航艇として60-100馬力のエンジンで敵艦に近付き、45cm2連装の魚雷を発射して帰還する、という目的で開発されたが、
量産型では艦体下の2連魚雷は廃され、600kgの爆薬を積んでの特攻兵器となったとされる。即ち上の大和ミュージアムの保存機やこの模型のような魚雷を抱えた姿での実戦投入はなかったとされる。

で、ここ下田市柿崎には、藤澤海軍航空隊の第6海龍基地が置かれたということだ。グレ、探してくれ!

くんククク!あのカンバンのジはよめませんが、ここをウミぞいにまがったさきがニオいます!
ハリスの小径か!
1856年にハリスという人が玉泉寺にアメリカ総領事館を開設したことに因む遊歩道だ。
それ以上の説明は理系のグレパパには勘弁してほしい。さあ進もう!
くんくんくくくっ!センセキのにおいがするセキヒです!
これはわたしにもよめますよ!フジサワカイグンコウクウタイとニンゲンのジでかいてありますよ!!
がぜんテンションがあがりました!さあいきますよ!

海沿いのバリアフリーな遊歩道を快調に進むグレ


途中山側には小さな壕が散見される。中を調べてはいないが下田市和歌浦に第57震洋隊が配置された記録があるので、ここも特攻基地として震洋壕があってもおかしくない。

普通にお散歩としてもいいとこだねここ!

くくくんっ!
なにかにおうものがありますね?
桟橋跡のようだね

このあたりからアナがいくつもありますね?

山側には相変わらず小型の壕が散見される
頑張れば入れそうだけどグレを遊歩道に置いていくには観光客の通りがあるのではばかられる。
くくくくくっ、くん!
人為的に塞がれた感じの奥を見たらやはり壕がある

はあはあ!だんだんにおいがこくなってきましたよ!

海側には繋留所の跡や
スロープっぽい造作跡が見られる

吉田松陰の石碑を過ぎたあたりで、

くんクククっ、クンッッ!

カクシンにせまりつつありますよ!あそこです!

グレの指す方に行ってみると

さっきまでより一回り大きい壕が開口していた!

道路沿いのものほど大きくないが、縦長の直線的な壕は
海龍壕と思われる。
ただ水没が深そうで、壕口から眺めるにとどまった。
奥で右に曲がっているようにも見えるが、諦めて先に進もう

20mほどで、石碑に出くわした!そしてその奥には、
立派な海龍壕が口を開けている!
特攻隊の特だろうか、菊と錨の紋章。

石碑には碑文が刻まれている。
要約すると、1945年3月藤澤海軍航空隊の14歳の特別年少兵200数十名がこの地に派遣され、昼夜を徹して壕掘りに従事させられた。これはその当時を懐かしみ平和を願って建立したものだということだ。
その壕の目的、海龍や特攻隊のことについては全く触れていないが
往々にしてこういうものはその核心をぼかして書かれている。それは日本人の美徳なのかもしれないが、強く知ろうと努力しなければ過去の歴然とした事実に触れることができないのは歯痒い。

奥には海龍壕が口を開け、真実の探求を志す者を招いている。

入る前にもう少し周囲を見ておこう

更に少し先にはもう一つの壕口があった

くんくんっ!さっきのとおなじにおいがします!

壕口には土砂が積まれてて、ここからは入りにくそうだ。

石碑のところに戻ると、グレが左側にも穴がある匂いがするというので左を見てみると、

「爆寄せグレ」と書かれたゴミの裏に隠されたもう一つの壕口を見つけた!


パッと見ではわからないが

藪を掻き分けた先にもう一つの海龍壕があった!

状態は良さそうだ!
グレと一緒に入ることが目的なので、見たらとりあえず石碑のところに戻る

整理のためこれまで確認できた海龍壕を雑駁に地図にトレースするとこうなる。
便宜的に最初に見えた水没壕を④、現在地の石碑後ろの壕を①とし、その両脇の壕を②③とした。

さあ!この石碑後ろに鎮座する1号壕に進入するぞ!

グレは馬鹿力で車椅子ごと抱き上げて強引に藪を突破した!

柿崎海龍基地、探検開始だっ!
続く