小説「骨捨てじじいと仲間たち」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

じいさん、またやってるな、新聞新しく取ったな。
と、私は銭湯の休憩スペースで、いちご牛乳飲みながら持参の全国紙を広げるじいさんに歩み寄る。
「よう」
「おう」
じいさんには味覚が無い。若いとき無茶な仕事をしすぎて、無くしちまったんだと。でも目は達者だ。
「出物はあったかい」
「いけりゃあせんこたなあけど、いけりゃあせんなあ」
とじいさんには言った。"ダメって訳じゃないが、ダメだな"という意味だ。
「にいさん、またたのめるかいなあ」
「うん、いいよ」
私の実家は神社で、アル中の父に代わって叔父が宮司をしている。
「なあ、わしゃまた行かないけんけえ」
じいさん、また墓暴きに行くんだな、と私は知った。
「せっかんされて死んだ子だあ、墓に入れたらいけん」
なのだそうだ。
じいさんは毎日全国の新聞から、親に殴られて殺された子どもの記事を集めて、墓を暴きに行く。
じいさんの家の近所に、志し高きトライクライダーが居るらしく、彼が新聞のデータを元に検索して墓地まで2人乗りしてってやるんだそうだ。
せっかん。
いつから躾とか虐待とか言うんだろうなと私は思う。強者が弱者に執拗に与える暴力。理由は無い。見つけてはいけない。見つけたら、それは「子育て」になってしまう。鬼が増える。
じいさんは死んだ子どもの墓から骨壺を盗み、私の家の神社に持ってくる。
叔父は仔細を心得ていて、死んだ子どものために「かけまくも賢き祓えどの大神にかしこみかしこみまおす」をやってやる。
そのあと、本当は山に撒いてやりたいんだけど、(そうすると天に行けるそうだ)出来ないから川に流す。
私と、叔父と、トライクのライダーがそこに付き添う。小さな子の遺灰は嘘みたいになくなる。
「ヒトは墓に入れたらいけん。ありゃ、ごみ捨て場だけえ」
とじいさんは言う。せっかんされて死んだ子どもが入るには、忍びないのだと言う。