長編小説「君の話しをしよう」了 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

君が幸福だったか考えた。私が幸福か考えた。彼が幸福になるか考えた。考えてはみた。それで、やめた。私は考えるのを止めた。人生なんて荒唐無稽なものだ。だから、そんな情けないしろものに託すには、幸福っていうのは大それてたものなんだよ。幸福について語るには私も君も、なんだかお呼びではない。幸福とか生きる喜びについてはもっと違う人に語ってほしいと思う。だから私はそう言うことをしない。

ああ、そうか。私は幸福について考えることを止めよう。私は君の死の原因になった。散々苦しめた挙句の死の原因となった。それでも、私は君の大成への欠かせない布石だった。私が居なかったら君は彼の姿を取って生まれては来なかった。もう1人の娘のことは考えるな。あれも結局は君の子どもなんかじゃない。

君は孤独だったろうかと考えた。私は孤独だろうかと考えた。彼は孤独になるだろうかと考えてみた。考えてみたけど、つまらないからやっぱりやめることにした。孤独は嫌われ者だ。誰もかれも孤独になるのを避けたがる。それで、誰もかれもが「お前はひとりじゃない」と言いたがる。私は考えるんだ。

私はひとりだろうか、そうじゃないだろうか。ってね。それで、つまらなくなるんだ。私は水だ。君が名前をくれた、泉だ。常に流動し定型を取らないものだ。私はひとときとして同じ形ではいない。それは魂の形、そして存在の形。常に変化しながら、私は小汚いシミを地面と落していく。そんなみじめな生き方をするしかないやつがさ、ひとりだとかひとりじゃないとか考えるのはつまらないと思うんだ。だって考えるまでもないんだから。

じゃあ君が今も生きていたら?

な。考えるのがつまらなくなるじゃないか。

彼が今生きているのに?

そう。とてもつまらなくなるんだ。

私は自分が不幸だったか考えた。私は若いうちに父親を亡くして不幸だと言われたことがあった。君の死を不幸だなんて思わない。君は鉈で断ち切るように死んでしまったけど、それは別に不幸だとは思わない。

正確に言うと、不幸なんだと思うことがバカらしいんだ。不幸なんて。こんな手垢のついた言葉で君の人生を印したくないんだよ、私は。不幸。そう、これは間違いなく世界で一番人間に使われたことばだから。誰もかれもが一度ならず三度四度、いやもっともっともっともっと使わずにはいられない言葉だから。そんなありふれて汚い言葉で君の人生を締めくくるのは、やっぱり気が進まないな。だから私は不幸についても考えるのを止めた。

私は幸福について考えない、私は孤独について考えない、私は不幸を認知しない。

じゃあそれってくだらない人生だなって思うよね、君ならきっとね。そして同じ、ほぼそっくり同じ人生を君は送って終わったね。君はよくある人生を生きた。

貧乏で凡小で弱くてまじめで。人を信じた分人から裏切られて。何度も何度も同じことがあってもなお人を信じることを止めずにね。誰でもするような人生を送って、そしてもっとも信頼を置いていた私に殺された。

私は君の人生を終わらせた。私の人生はずっと続くだろう。ずっとずっとね。不幸でもね。孤独でもね。いっそ幸福でもね。宇宙船に乗ってるみたいなんだ。私は虚空に捨てられた。漂う他にすべがない。だから、生きて行くだろう。どんなに死にたくなってもね。幸福も孤独も不幸も考えることをしない、それでも私は死について考えている。それは君が私に残した最後の絶対だからだ。

ふたたび生まれても私は君に会えなかった。死は、こんなにも絶対だ。黒い無風の中をただ流されていきながら、私は自分が死ぬことを考えている。それはきっと幸福とか不幸と一番遠い所にあるものだ。

真ん中。

人と人の真ん中、君と私の真ん中、君と彼の真ん中、私と彼の真ん中にあるものだからだ。私は死を考える。私は真っ暗な無香の中を進んでいく。それでも死はもっと絶対だ。より高級だ。

君はいったいどこに行ってしまったんだろうね。もう分からない。最後に言えることがあるとすれば、それを確かめることの出来る人間はこの世にはいない。いる、っていうんなら、そいつは紛れもない嘘っぱちだよ。

私は生きることについて頓着しない。ただ死ぬことを考える。そして長い時間を生きて行く。干からびて終わるまで私は生きて行く。君がそれを望んだだろうか。君は私の幸福だけ望んでいた。でも、もうそれについて話すのは止めよう。

1年ずつ君が死んだ年に近づいていく。私は生きる。君の白い骨が残らず土に飲まれるまで、私は生きて行くだろう。それで、充分だよな。君の要望には応えられたよな。

私は君の人生を繰り返した。もう満足してもいいと思う。

 

じゃあ、君の話を終わろう。