「君の話をしよう」としたことについて | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

昨日で連作「君の話をしよう」

を終わりました。そもそもは10日間ぶっ通しで集中して書き上げようと思っていたんですが、家族の病気とか大雪とかで消耗させられてままならないことも有り、こんなに時間がかかってしまいました。

 

「君の話」

は私の父のお話です。

起こったことをそのまま書き起こしているのでかなりの乱文になっております。でも、そこは小説として顕すつもりだったので、細部はかなり誇張しています。

(母親に関してはまだもうちょっとまともだったはずです、たぶん、多分…)

 

前回の「森と雨」の時は

もうとことん自分の好きなように書こう

 

と思って創作に望みました。今回の「君の話をしよう」では

 

とことん自分が嫌がることをしよう

 

と思って臨んだ物語なのです。森本のどM炸裂(キラリ)、な瞬間であります。

書くのがいやだったわけではありません。思い出すのが辛かったわけではありません。ただ、肉体に拒まれたというか、

 

生命体としての自分が苦しんでいる、

その苦しむ自分をとことんまで痛めつける

 

それを目的にして書いてみました。

まあ、一番つらかったこととい言えば、どうしても筆力の未熟、ですかね。だめだな、私はまだまだ。12年も何をやっているんだろう、と言ったところです。

いや、高校生のころから考えたら一体なにやってんだって感じですよ、まさに。思っている事の半分も描写出来ない。いつもいつも。

 

でも、書いてみたことでそれが分かりました。

書いてみたことで私は世界を、父の人生をこんな風に見ていたんだ、こんな風に描写するんだということが分かりました。

 

私は常に自分を知るために手を動かします。文字は私の軌跡です。奇跡である以上墓標であってほしい。だからこそもっといいものを書きたい。

 

そのためにはまだまだ苦しみ方が足りません。

 

今度はどんな風に痛めつけてやろうか。

 

森本のどM全開(キラリ)、な今夜です。