思考の餌。 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

先日知人の方がブログに心無い書き込みを喰らうという災難に遭われました。

 

俳優の西田俊之さんをゆえなく誹謗中傷した挙句

それがブログの閲覧数を挙げるための分かった上での虚言、と訊くと、お前ら何考えてもの書いているんだよ、と脱力感を感じます。

 

ブログの閲覧数を上げることで、広告収入を上げて生活費に充てていたんだということなのですが、

言語で人を損じてそれで食い扶持を稼ごうというのは、文章読みの立場として赦せないものがあります。

 

と、

言って私も売文して食って行こうとしている人間の一人なので、どこが違うんだ、と責められたら上手く言い返せない。

 

 

最近はあんまり来ませんが、定期的に私の所にも遊びに来る人がいます。

 

そう。

遊びに来る人がいます。

 

荒らしは、私にとって思考のおもちゃです、もっと言うと、

 

自分の思考を肥やすための餌です。

だから私は荒らしの人が来るともうとことん遊びたくなる。なぜか、何故なのか自分なりに考えてみたんですが、理解できないから、だということに思い至りました。

 

荒らしなんていやなもんですよね。

私は美しい言語が好きです。荒らしのやり手は小汚い言葉のエキスパートです。だから嫌なもんですね。

 

でも、

だからこそ私はそいつと遊びたくなるのです。

 

なぜ、

面白くもなんともない言葉を、時間を使わなくてはならないのか。

…暇なのかな、と思うと同時に、知りたい、と思い近づきたい、と思うのです、

 

その醜い心に。

 

言語の汚さは思考の餌です。私にとっては。

どういう生き方をして来たら人の家のお手洗いを使って流さずにドア開けたまま帰るような人間になるのか。

 

それを考えることで、私の思考が動きます。だから、汚い言語を使う奴は私の餌で、私のおもちゃなのです。

 

ま、

私がそう思っている位の事で、荒らしの人は対して私と遊んでくれません。土俵を用意したら上がってこない。それが荒らしの本分の様ですからね。

 

ああ、つまらない。

(でも、今この瞬間にも荒らしの被害でお悩みの方には心からお見舞い申し上げます。

まったくもう。)