小説「風が強ければ」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

私はいつも保健室に居る、この保健室には誰も居ない、だから私はいつも保健室に居る。

 

この保健室には誰も居ない。

気分の悪くなった生徒は担任が直接連れてきて、手当したりベッドに寝かせたりして適当に帰っていく。

生徒の方でも、自分で勝手に脱脂綿などを使ったりベッドでいびきをかいたりしてから、やっぱり適当に帰っていく。

その間ここに居て本を読んだりタブレットを使っている私の事は、何故か誰にも触れられない。願ったりだと私は思っている。

 

保健室の窓の外には、どうして伐ってしまわないのか、枯れたままの松の木がまだ立っていて、風が吹く度にその枯れ枝がぶらんぶらんと揺れている。

松くい虫にやられて枯れてしまったのだそうだ。そんな木が保健室の外に立っている。どうして誰も伐ってしまわないのかと私は不思議に思っている。

そしてタブレットでSNSをチェックしていく。

 

この学校の保健医は非常に不真面目な人なのだそうだ。

いつも病欠扱いになっていて学校に来ることは無いのだそうだ。そしてそのことは先生方の間で黙認された形になっている。校長の身内だからとかなんとか、そういう噂を聞いたことがある。

 

とにかく保健室には誰も居ない。

誰も居ないんだから、もっと誰か居てもいいようなものだと思うんだけど。

誰かと言うのは、私よりももっと積極的にサボるための場所を必要としている様な人たちの事だ。

この学校の人達はみんなまじめなんだろうか?

みんな真剣に授業を受けているんだろうか?不真面目な人は居ないのだろうか。不真面目というのなら、私だけが不真面目なんだろうか。

私は疑問に思えてならない。

 

私は誰も居ない保健室に居る。そこで勉強をしたりお弁当を食べたりしている。たまに誰かがベッドを使いに来ても、私は何も言わない。

ベッドを使いに来た人も、私に何も言わない。

 

私は枯れたままの木にだらしなくぶら下がっていつまでも落ちることなく風に吹かれている木の枝みたいに自分を感じている。

 

もっと風が強く吹けばいいのに。

 

何故私はこんなにだらだらと、生きるわけでもなく、すべてを終わりにしてしまうという訳でもなく、自分が枯れていることを知っているのに、

何故斃れてしまうことが出来ないのだろうか。

 

もっと風が強く吹けばいいのだ。そう、私はお弁当箱の中に入っている冷凍のしゅうまいを半分に割りながら思う。

もっと強く風が吹けばいい。私が立っていられなくなるくらい強く強く吹けばいい。

 

しかし私はまだ立っている。風が、どうしても緩いから。私は斃れない。だからどんなに顔を伏せても毎日保健室に来る。誰と口を利かなくても、誰に顧みられなくても。

風より私の方が強いからいけないのだ。

こんな枯れ木も揺らすだけ。ずいぶん情けない突風だなあ、と思いながら、私は毎日お弁当を持って学校の保健室に来るのである、

誰も居ない保健室に。