父が死んでから暫くして、私はとも綱を解かれたのだと悟った。
私は、大地から別たれたのだ。そう悟った。もう私を荒浪から守るものは何もない、私は自分が何者なのか、どんな形の船なのか、どんな大きさの船なのか、一体自分には何が備わっているのか、私は何をする船なのか、
何も分からない状態で、とりあえず海に押し出されたのである。
父が死んでからの暫くの寂寞中で、私はそれを悟った。
私は今まで大地に繋ぎ止められていたのだ、そして大地が無くなってしまったのだ。私は天も地も境い目も昼も夜も分からないでたらめな海の中に、
気づけば一人で浮いているのだと。そう悟ったのだった。
悲しいなんてもんじゃなかった。
魚も跳ねなかったし鳥も湧かなかった。私は一人だった。一人で、ただ水面に浮いていた。
前を見ても後ろを見ても、海水しかなかった。塩はゆいかぜが私の帆を嘲って通った。
私は、一人海水に浮いていて潮風に嘲られていた。
しかしそのお陰でどうやら私には帆が備わっているらしいと言うことが分かった。
私は、帆柱と帆を備えた船だった。だから風が吹けば私は水面を走った。
風が強く吹く事もあった。
私は沈んでしまわないように帆を畳むことを覚えた。私には帆を上げ下ろしするための綱が備わっていることをそのとき知った。
私は嵐が来ると帆を畳み、あらぬばしょへ流されないように舵を切った。
私は自分が舵を備えた船で有ることを知った。
私は嵐に耐えるために、舵にしがみついて必死で自分を風に固定した。私にはそんな力が備わっていることを私は知った。
私は海水の上を風の力で進み、気に入らない方向に行きそうなときは舵で機嫌を取った。
私は私の帆柱が丈夫な杉で出来ていることを知った。
私は私の帆が太い糸でしっかり編まれていることをやがて知った。
私は私の舵を、私以外のだれかが充分に使い込んで居たことを知った。
海の上を何年も走りながら私はそれらの事を知った。気づけば私は海の上を、一人で何年も走り続けていた。
私は私の船が大地に繋がれていた間に支度されていたことを漸く知った。
固い柱、丈夫な帆、使い勝手のよい舵。父が生きている間に、私が生きていけるように、
それらのものを支度していたのだと言うことを、やっとのこと私は悟ったのだった。
だから私は今でも海を走っている。
陸に着くことはもうないだろうけれど、私は私が海を走れる船で有ることを、良く、分かっている。