小説「愛のことば」 | 文学ing

文学ing

森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

言葉を無くした私の子供。力いっぱい握ったタオルの端をしっかり咥えてリビングでテレビを見ている。

 

言葉を発すると誰が彼を攻撃すると思い込んでいる。言葉を話すと誰かから虐げられるとと思っている。彼はそういう妄想の中に沈み込んでしまった。この、春から。

 

タオルをしっかりと咥えてテレビを見ている彼。しゃべらない。もう半年私は彼の話す声を聴いていない。彼は自分が言葉を放つことをすっかり恐れるようになってしまった。怖い。

 

言葉にならなくても彼の全身が、その涎の染みたタオルが物語っている、怖い。

何か言って誰かから虐められるのが怖い。怖い、怖い怖い怖い怖い。だからもう何も言わない。何も言わなければ、誰かから虐められることもない。

彼は無言のうちにそう訴えて、この春からタオルをくわえて離さない。誰と会っているときでも、どこに出かけるときでも(大学にあるカウンセリングルームだ)

タオルを固く咥えたまま絶対に離そうとしないのだ。

 

「もうすぐお昼だからね。」

対面キッチンから私が声を掛けると、彼はこっくりと首を前に倒す。そしてテレビの前から離れて二階の自分の部屋に入っていって、とんとんとんとん、がたん、がたん。扉を閉める音が聞こえる。

 

彼は私と一緒に食事をしない。食事中にタオルを口から離してしまうことがそれはそれは怖いのだ。タオルを話したらついつっかり誰かと(私だ)口を利いてしまうかもしれない。そうしたら、虐められる。

彼は私ですら自分を虐げる対象だと思い込んでいる。いや、あながち思い込みでもないかもしれない。私は今までどんな形で彼のことを、表面的に、より辛辣に、虐げてきたともしれない。

虐げてきたともしれない。

そんなこともわからないような親なのだ。ともかく彼は学校でささいな発言を強烈に揶揄されて、それがもとで時に煩雑な、時に単純な、クラスメイトのあざけりと侮蔑の対象となって、それで学校に行くのを止めた、タオルを噛みしめて。

 

だから彼は私と一緒に食事をとろうとしないのだ。私が見ているところだと必ずタオルをしっかりと咥えこんだまま歯茎をしっかりと剥き立ててそのまま身動きもしない。私と一緒に居る時にタオルを離してしまって、何かしゃべることをそれはそれは嫌がっているのだ。

 

だから私は彼の食事を与えるために

「もうすぐお昼だからね。」

と言ったのだ。すると彼は自分の部屋に入っていく。そして決して出て来ない。

私は台所で焼きそばを作って彼の部屋の前に置く。ドアを2回ノックする。ごはんをここに置いておくからね、という合図だ。いや、挨拶だ。彼は、私の声を聴くことすら嫌がっている。

 

彼の部屋の前に焼きそばを置いてから、私は自分の食事をするために近所のレストランに出かける。

口からタオルを離している間、ついうっかり誰かに声を聴かれてしまうことを彼はそれはそれは恐れているのだ。

彼は

もう一生言葉を発しないかもしれない。しゃべったという事実から精神の極限を痛めつけられた彼は自分が言葉を放つ意味を永遠に失っているのかもしれない。

 

だから私たちは一緒に食卓を囲むという事がない。夫はあれ以来必ず外食をしてくるようになった。

あるいは、天気の良い深夜は私が弁当を作って夫を迎えに行って、大きな駐車場のある公園に車を止めて、その中で二人でお弁当を食べることもある。

私たちは話す。

彼は、こうして家に一人でいる間も、タオルを咥えて離さないのだろうか。分からない。それを確かめる方法は私には無いのだから。

 

ひょっとすると私たちが家に居ない間、彼が家に一人でいる間、彼は何かをしゃべっているのかもしれない。誰にも聞かれていないことが分かっているのなら、誰に対してでないにしても、

何かをしゃべっているのかもしれない。

 

彼が何か言葉を発しているかもしれない。

これがこのごろ私が抱いている夢であり

夢である以上妄想の域を出ることはないのだ。