最後の記事は日付をまたぎながら書こうと思ってしまして、
公開されるのは明日になると思いますが日付は今日のままになっていると思います。なんとか10記事分書けたかなと思っています。
10年が終わっていきます。
この最後の瞬間はつれづれに思いついたことだけを書いて仕舞にしようと思い、普段個人的な書き物をやっている手法で思いつきのままに書いていこうと思ってみました。
書けなかった時や書かなかった時や書きなくなかった時や書きたくても書けなかった時や
いろんなシチュエーションがありましたが
25歳の時に
「10年書こう」
と思ってからとりあえず途切れることなく書き続けて10年が終わっていこうとしています。
自分の中でも感慨深かったたのか、今日書いたものはなんというか
今まで自分を励ましてくれたものを思い出しながら書いたのかなと思うところがあります。
おじいちゃん、おばあちゃん。
この10年間で私の生活に一番重要だったのは
死んだ父と生きている夫と生まれてきた息子たち
でした。
彼らの存在がなかったら私は小説を書こうとは思わなかったかもしれません。
と、言っても高校の同級生にしてみたら文芸部に所属して小説ばっかり書いていていた私は今でも
小説書き
という立ち位置の様なのです。
人間は15歳くらいの時にしていたことを一生続けることになる。
これは私が自身の経験から導き出したある種の法則で、
15歳の時本を読んで文章ばっかり書いていた私は
25歳の時に10年間文章を書き続けようと思い立ち、
そして35歳になりました。
実に20年という時間が経ちました。この20年は長かったのか?
長いですよ!
それはもう長かったですよ。もういっかい繰り返せと言われたらもう二度と嫌だというくらいつらいことも苦しいこともありましたよ。
そんな中で私は途切れることなく文章を書いてきました。
この10年は私にとって悔いのないものだったろうか?もっと書きたかったことはなかっただろうか。
うん、それは、これから先の10年で書けばいいだけのことだから、大丈夫。私は明日からもきっと間違いなく文章を書き続けるでしょう。
今年の太宰治賞にも一次で落ちて今度こそ本当に書くのが嫌になるかもしれません。
今度書くのが嫌になったら私は本当に書くことを止めてしまうだろうか。分かりません。あの体験は私にとって本当に忘れざる痛みでした、あんな思いは二度としたくない。でも二度
しないという保証はどこにもない、書いて生きている以上どこにもない。
あ、少なくとも私は書いて生きていくという当初の目的を果たせそうですね。
私は基本的に書いていることが楽しいです。でもこれからは楽しいだけでは済まなくなるでしょう。
10年間書き続けて自分の書き続けていく標榜みたいなものがはっきりしてきました。
私は小説書きになります。
なんどもこのブログで書いてきていまだに全く手の届かない目標ですが、でも私は小説書きとしてプロになります。
10年書いてきて得た答えがこれです。
だからかなえなければいけません。
これから先の10年の間に私は小説書きの専業になります。遠い道のりです。そしてみのりの無い道のりです。
でも私はほかにしたいことがないのです
だから仕方がないのです。
私は明日からも文章を書きます。そして読んでくださる方があることはしあわせなことです。
私が10年続けて書こうと思い続けた日々が終わりました。
明日からはまた別のことを考えながら書き続けなくてはなりません。なんだかさみしい気持ちがします。そして、やり遂げた、という気持ちにはなれません。まだ私はやり遂げていない、10年をかけてなおやり遂げていない。
気が遠くなりますね。
私はまだこの先何十年も書き続けます。アメブロが無くなってからも、きっと書いていくことでしょう。