樹木の王、
というキイワードは私の中でちょっとしたこだわりのあるテーマで、それは私が地方に住んでいて子供のころから木に登ったり土に穴掘ったりして遊んでいたからだと思うのですが
思入れはとても深くこのブログでも何度か取り上げている単語です。
鬼子のヒオリのクライマックスで出てきたヒオリの父親、クグノチのイメージもこの樹木の王でした。
樹木の王は私の中で
自然の驚異の象徴
という位置づけになっています。なぜそれが大地や自然災害でなく地に生えている樹木なのかは自分でもちょっと分からないのですが
樹木というのは私にとって親しいと同時に恐ろしい存在です。
どうして恐ろしいのか。そのあたりがよく分からないのですね。きっと夜中に窓の外に立っている木の影を見ながら育ってきたからなのかもしれません。
潜在意識の中に刻印されている畏怖のようなものかもしれません。
今回の「樹木の王」という掌編のなかで
私はその怖さを出来るだけ素直にかいてみました。自然は怖い。誰もが知っているはずのことなのに、私たちは簡単にそのことを忘れてしまう。そして自然そ身近に感じれば感じるほど、それが恐ろしいものなのだということを私に忘れさせてはくれないのだ。
とはいっても樹木の王は私の中でまた、ノスタルジックな表象でもあります。
挙げたとおり私は山や木に囲まれて生きてきたので樹木はやはり親しみの持てる存在なのです。
もっとも親しんでいるモノこそもっとも恐ろし。
生きていくという事は、だいたいそんなものなのかもしれないですね。