小説「焼かれる躯」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

火葬の風習を知らなければ私のその後の人生は変わっていたかもしれない、忘れられない、五歳の昼間のことだった。

何故、
誰がそんな話を始めたんだろうか。私の郷土にはよくあるのだが、

押入れの一部分を改装して仏壇に設えている。(壁一枚隔てて座蒲団とかが仕舞ってある。当然法事でつかうのだ。)

長年の線香のけむりでイブされた真っ黒な、小さな空間に、ホトケサマをエガイタカケジクと脂に汚れた位牌が沢山入っている。

誰が、何故、私にそんな事を教えたのだろうか。

ひとはな、しんだらかそうばにいって、もやされるだ、ほねをひろってきてはかにいれるだ、

呆けていた曾祖父だったのかもしれない。
(曾祖父の死に目には立ち会ったはずなのだがどうしてか私は覚えていないのだ。)

その時の、五歳だった私の、感じた恐怖。

この私の肉体がいつか火にくべられて燃やされるのだ、

とは思わなかったけどそう言うこと を考えたときの私の恐怖。
私のからだがもやされらのだ、
その時の私の恐怖。
30年たった今でも忘れられない、私はその夜以来夜泣をする子供になって両親を随分手こずらせた。

夜一人で寝ていると、自分が今にも暗い穴の中で火にかけられるように思えてならないのだ。
私は助けを求めるために大声で泣いて、家の人を起こしてびっくりさせた。そして叱れた。

あれが切っ掛けなのだ、私の人生はその時の変わってしまった。

どんなに頑張っても、何をしてもどんな人間でも、最後は燃やされて終わりなのだ、そう思ったら。

今ここでこうして椅子に座っていることが恐ろしくて成らなくなった、思春期のころ、私はあらゆる事を燃やされる事を基準に考えていた。

そんな私の肉体はまだ燃やされる段階にまでは来ていない、しかし私はこの、過ぎた時間の中で手のひらからいくつかの灰を失ってきた。いくつもの、いくつもの灰が、私の手から逃げていった。

私が燃やされるとき、果たして誰が、逃げ去る私の灰を手を伸ばして掴もうとしてくれるのだろえか。

年を取ってからはむしろその事が気になって仕方ない。灰になる私の心。