長編お話「その顔に、根の跡」了 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

ぽつり、ぽつり、
と、小川ユカリだった女は涙を落とした。
ぽつり、ぽつりと。サラシの布で濾す豆乳みたいに。

一滴一滴、涙をこぼし始めていた。
「そんな言い方、
すること無いじゃない。」
そう言いながら小川ユカリだった女は泣き出した。
両方の目から止まることなく涙が落ちた。
ぽつり、ぽつりと。
「そんな言い方されたの、初めてよ。」
そう言ってなおのこと涙は流れ続けた。
ぽつり、ぽつり、ぽつり、ぽつり。

それは滋養のある涙だった。
しかし流す度にそれらは直ぐ様吸い上げられていくのだ。
潤沢な地下水が陰険な雑草によってげしげし吸い付くされていくみたいに、小川ユカリだった女の流す涙は醜悪な根に吸い上げられていくのだ。顔中に細かな根の跡が直ぐ様浮かび上がる。顔の皮が乾上がる。

その涙が、小川ユカリだったのだろう。
固い女の皮の下に長い間大事に仕舞われていた栄養が、今訳の解らない根っこによって吸い出されようとしていた。

小川ユカリだった女の涙は止まらなかった。
ひょっとしたら未来が、可能性とか言うものが、あるいは過去とか、取り返しの着かない物とかが。
こんがらがった根になって小川ユカリを吸い上げていくのかもしれない。
涙がこぼれていくうちに、女は空気が抜けるみたいに萎んでいった。溢れるばかりだった女っけも小川ユカリの涙と一緒に吸い上げられていくようだった。

取り返しの突かない場所へ。

私達は再びメニュー表を手に取った。
「カニカレー頼もう。」
「タンドリーチキンの串焼き食べたい。」
「俺はこのヤムウンセン? て言うのが気になる。」
「じゃあ僕は豆腐のゴマだれサラダ。」
「じゃ、俺はイカとニンニクの芽の炒め物。」
「わたし豚キムチの温玉乗せ。」
私達は次々に注文して、ビールも沢山飲んで、気がすむまでのみ食いした。これは葬式だ。皆がそれを感じていた。

これは小川ユカリの葬式なのだ。
小川ユカリだった女は泣きじゃくりながらそれでも元気に出てきた物を口にはこんだ。
私達は小川ユカリを悼んでいくらでもごちそうを食べた。

今日を最期にして小川ユカリは死んでしまうのだ。それがどんな死に方であるにはしても。
小川ユカリは死んでいく。今日このご飯を食べた後で、何らかの形で死んでいくだろう。皆がそれを悼んでいる。
命が消える瞬間はなんて、
なんていつも、こんなに切ないんだろう。

私も何だか目が暑くなってきて、それは目の前の人の死を悲しんでいるのか辛いものばかり食べているからなのか。わからなくなった。

私達はとにかく食べて飲んだ。
ほとんど会話もしなかった。今日で一人の人間が消えるのだ。
この重たい現実を抱えて私達は明日以降にも忘れることなく日々を生きていくのだろう。