宮沢賢治作「なめとこ山の熊」
数十年ぶりの再読。私は絵本で読んでいたんですが、小学生のころ好きだった。
今日たまたま再読したんです。
この物語と自分との間にある距離に想いを馳せる。
違う。
違うのだ。別に賢治先生が私の人生のゴールではない。
しかしまだまだ私の物語は賢治先生から遠いとおい場所にある。
まだまだ、未だまだまだ、だなあと思って読みました。
この記事は
「書くについて書く」か
「最近の読書」
のどっちのテーマにしようかなと思ったんですが、「書く」のテーマの量が増えすぎてるんで読書の方に回しました。
重い。
重さが違う。
この物語の言葉は重い、文章が重い。
小学生の私はお話の内容にまで分け入って行けなくて、難しいことばが一杯だなあと思っていただけでしたが、
美しい文章だと言うことだけは分かりました。
その文字が、流れが、音韻が。
美しいものだと思って読んでいました、10歳くらいのころ。
やはり私が文書に求めるのはその存在としての美しさのようです。
枝が揺れるから其処に風が在るのが解るように
揺れる心があるからそこに言葉の美が存在するのだ。
それを思い知らされてならない。
私の文章はまだまださっぱり到らない、其処へ。
美しい文章を書きたい。
毎日毎日やりたいことだけが溜まっていく。