小説「焔足・ホタル」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

「これがすべて生殖意欲と言う訳ね、人間も見習わなくちゃ。」
「君はまたそういう言い方をするから。」

栴檀谷公園は蛍の名所だ。
もとはたんなる雑な森だったんだけど、市の試みで地元の高校生達が蛍の幼生を放流しはじめたのが見事に定着して、
今夜この暗闇の中に、夥しい灯の顆が舞っていた。

そして彼女はそれを
姓に飢えた虫、と表現する。
「だって間違ってなくない?」
「それはそうでしょうけど。」
周囲はローカル局の宣伝に煽られて、ふらり、と蛍観に来た市民達でがやついていた。そんな中に彼女が
性欲、
とか
虫の大群
とか場違いなことを呟いても、気にする人の居ないことが。僕はほっとしている。
「イルミネーションか何かと勘違いしてるんでしょうが、その実虫の群れよね。
あるいは溺死者の魂なんだっけ?」

彼女は場所を選んで発言するというセンスを嫌悪している。

「この彼はもう一仕事終えたのかしら。」
彼女は沿道の杉の木の根元に、倒れ伏すように途絶え、悶えしながら明滅している一匹を見つけてしゃがみこんだ。

「この彼、無事に事を成したならいいんだけど、誰にも見向きされずに終わるってんならとんだへたれね。」
「どうだろね。
ペアが作れたんならもっと他の死に方するんじゃないかな。恐らく君の言う通りヘタレだと思うよ。」
「まあきのどくな。」
もちろん、気の毒なんて全くでたらめな彼女が言う。

「ではこの小さな遺伝情報は消えてしまうと言う訳ね。」
「そんなことが気になるの?」
「こんなにちっぽけでもビッグバンの結果なのよ。」
「いきなりハイグレードな話題に切り替えたね。」
僕は言った。彼女のギアチェンジはいつも乱暴だ。

「宇宙が爆発した瞬間から途切れずに続いてきた分子の配列がここで一つ途絶えてしまうのよ。」
「そんなこと言ったら今まで途絶えてきた情報の配列なんて本当に止めどないよ。」
「そうね。
そして此処にいるこんなに沢山のひとはそんなこと考えてみることも無いでしょうね。」
「時間の堆積のむこうで無かったことになる情報について?
僕達はなんの話をしているんだ。」
彼女はもうほとんど光らない彼を見飽きたのか
観足りたのか、立ち上がった。

「来年翔ぶのは違った蛍なのに。
来年来たらまた蛍を観た気になれる。乱暴だと思うのよ、その感覚が。」
寂しそうに話す。
「多少乱暴な感性の方が日常何かとやりやすいんだよ。」
僕はそう言って彼女を慰めた、のかな?