長編お話「鬼子のヒオリ」の29 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

ワゴン車が物凄い勢いで車道をバックして、反対車線に飛び出していったとき、運転している男は

「ごめんね、ごめんね、大丈夫。ちょっと一緒に来てほしいだけだから。」

と、話してアクセルを乱暴に踏み込んだ。あんまり急な発進だったので私はまず、転がり落ちた後部座席のシートの下で頭を抱えなくてはならなかった。
「君がどうこうという訳じゃないんだ、ちょっと付き合って欲しいだけなんだよ。」

田舎道を猛スピードで走っていく。
こんな速さで走る車はこの辺りにいやしない。私は、ようやく、自分が酷い状況に捕まったのが分かった、分かったから、きゃー、とか、いやー、と叫ぶ筈のところを動転して、
かあ、
と痰が絡まったカラスみたいな悲鳴が出てしまった。
おろしてください、
私は怖くて運転している男の方が見られなかったので、半泣きになりながら、頭をしっかり抱え込んでそう訴えた、

おろしてください!

でも運転中の男はまったく聞いてない様子で大丈夫大丈夫、を繰り返すだけで。
車は猛スピードで道路を疾走していく。パニックになる。

「みいちゃん!!」
やっと声がちゃんとでた。稲兄さん、お爺ちゃん、

「三郎彦!!」
と叫んだとき
ガアアアアア、
と恐ろしい鳴き声が聴こえた。運転している男がどろん、とつばを飲む気配がする。

お山そのものがどよめいた。土ごと揺すぶるみたいだった。三郎彦が雄たけびを上げたのが分かった。

だからこそ運転中の男はその三郎彦から逃げるみたいに赤信号を無視して走っていく。
「心配しないで、君のお父さんの為なんだよ。」
運転中の男が言う。

私はこわくてこわくて、目を力いっぱいとじたら端っこから涙が染みだした。
ガアアアアア
ガアアアアア
と三郎彦が吠えているのを遠くに感じながら。