それは失明するまで外に出られないと言う苛酷な刑罰なのだ。
受刑者は写真暗室ほどしかない灯りの中を、毎日与えられた本を読み続けなくてはならない。
そして怠けず読んでいる事を証明するために、読んだ本のレポートもその暗がりの中で執筆しなくてはならない。
そうして何年か目を酷使していると、やがて彼は何も見えなくなってしまう。
「なんでそんな回りくどい真似をするの?
失明刑なら薬使うなりスプーンでえぐり出すなりすれば良いじゃない。」
「お前よく飯食いながらそんなこと言えるな。」
と言いながら、隣て友人は私が無意識に避けていたハンバーガーのピクルスを摘まんで食べている。公園のベンチ。
この人はピクルスが好きな訳じゃない。
ひとが無意識に避けるものを見ると無意識に食べてしまうのだ。
牛丼弁当の紅ショウガとか、冷凍ピザのオリーブとか、盛り蕎麦の薬味の葱とか。
ひとが避けるものを見ると無意識に食べてしまう。
友人はどこかの国で思想犯に対して行われている刑罰について話していた。
「刑って何をやるかよりもどんな風にされるかの方が堪えるだろう。」
体にも、心にも。そして体と心に物言わせるのが刑罰の真骨頂だろ。
と友人は言う。
「例えば500万払えば赦される刑をさ。
一括で500万払わせて貰えなくて、毎月5000円ずつ死ぬまでATMから払い込まなきゃいけない。
つまり毎月毎月自分が犯罪者なんだって必ず自覚しなきゃいけない。」
「払い終わるまでに死ぬだろう。」
「だからこの場合金を捕る事が目的なんじゃない。自分のやったことを生涯忘れさせない事の方が重要なんだ。」
そんなに永い時間が懸かったら、何のために5000円払い続けるのかも忘れてしまいそうだけどな、と私は思う。
「その失明刑も同じで。
時間を掛けて目を酷使させる事が刑の意図なんだ。
薄暗い部屋でずっと本を読まないといけない。受刑者はそんな毎日を過ごしてるうちにだんだん、どうしてこんなことをさせられるのか、腹が立ってくるよな、」
俺ならそうだ、と友人は話す。腹が立つよりも疲れて嫌そうだと私は思う。
「なんでこんな目に遭う、どうして自分がこんなことをしなくてはならない、誰の為に、何故、
そう思いながら毎日毎日目を酷使していたら、受刑者は極度のストレスで世の中全体を憎むようになる。
そして失明する頃には、こんな世界なら視るのも嫌だと思うようになる。
だからやっと失明して外に出られた時、彼は神に感謝するわけだよ。
ああ、この憎たらしい世界を二度と見ずに済む。
神さまありがとう、これはこれで何かの救いである訳なんだ。」
「刑罰が救いな訳か?」
私は、ハンバーガーの中の玉子ってどうしてこんなに不味いんだろう、と思いながらそれを食べていた。
「救いも一種の処刑だよ。
何せそれまでの自分の世界を一切合切喪ってしまうんだから。」
過去が死ぬことは個人が死ぬのと同じことだ、と友人は言った。