ざ、
がたがた、と椅子を引き、開いた膝に両手を乗せて頭をかっくり下げて、
「ご紹介が遅れました。
3回生の山口ゲンゴです。
またの名を東尾ゲンゴです。」
と言ったのだった、その人は。
「山口? 東尾じゃないんですか?」
さらに分からなくなる、と私は思う。ちょっと興味があっただけなのに、どんどん分からなくなる。
「正式な名前は、山口ゲンゴです。戸籍上のはね。カタカナで、ゲンゴ。」
「言語って名前だったんですね。」
「うん、漢字じゃなくてカタカナでね。」
と東尾先輩はジャガリコのパッケージをあけながら話す。
「じゃあ、あの、なんで東尾?
あ、離婚されたお母さんのご実家とか?」
「いや、母方の名字は糸尾です。」
「???」
「や、だからそこは話すと長くなることながら、」
と言って東尾先輩の話したややこしいきさつは、ざっと以下のようなものだった。
まず最初に
東尾氏
と言う人が居る。
この方は東尾先輩正式山口先輩のご両親の、大学の先輩にあたる方だそうだ。
東尾氏は山口夫妻が卒論ゼミにいた時の助手をしていた大学院生で、教授と一緒に学生の卒論指導をしていたのだそうだ。
ところでこの山口夫妻(当時はもちろん単なる恋人)、
方や無気力、方や要領が悪すぎて、卒論を作ろうにもデータが集まらずあつめても集積できず、提出期限が近づくのに二人揃ってなかなか原稿が進まなかったのだと言う。
他のゼミ生がどんどん結論、総括の執筆に入って行くなか、方や投げ槍、方や悄気しょげになって
もうダメだ、こうなったら枕並べて中退だ!
と半ばやけっぱち半ば半狂乱になっていた。
そんな後輩二人に対して東尾氏は、
「叱咤激励してなだめ透かしてケツ叩いてぎゅっとだきしめて」
(と、東尾先輩は言った。)
必死になって文献を探して上げて、ヤル気になるまで根気よくPCの前に座らせて、書けないって言い出したら口述筆記までさせて、当然教授には裏で手回しして、
どうにか提出に漕ぎ着けるまで「一事が万事 」世話を焼いたのたそうだ。
そんなわけで二人が無事卒業式を迎えた時、
「お前たちは僕に返せないほどの恩を作ったな。
今後もし最初の子どもが出来たら僕の養子によこすくらいの気持ちで是非いてもらいたいもんだ。」
と東尾氏は言ったのだった。
当然それは冗談だったのだが、後年東尾先輩が生まれたとき山口夫妻はまさかの真に受けていて、
東尾先輩と東尾氏の養子縁組みを試みたのだ。
で、東尾氏に怒られた。
「お前たちはなんでそう変な所で真面目なんだ!」
と言って怒られた。
「しかしその後も東尾のお父さんと両親の交流は続いたし、おれも、お父さん、てずっと呼んでたし、なんだかんだ結局東尾のお父さん結婚しなかったし子どももいないしでさ。
成人式するときに父親から、これからは東尾のお父さんのことも実の親だと思って大事にしなさいって言われたんだ。
だからおれ、紋付き着て東尾のお父さんと記念写真とったよ。二十歳の時。
昔で言うエボシ親ってところです。」
「エボシ親?」
「昔、成人式の時に冠を被せてくれたひとのこと。成人するときの身元保証人みたいなもんだな。」
「で、そんな面白すぎるエピソード持ってる奴なんか他に居ないから、
東尾、の方が定着しちゃったんだよな、お前。」
レアン先輩がサラダ味のジャガリコをしゃこしゃこ言わせながら言う。口にもの入れて話すんじゃねえ。と東尾先輩が言った。