パッとしない絵描きだった友人は
“見えない女”
というシリーズでいきなり画壇の渦中に躍り出た。成功者となった。
見えない女たち。
奇妙なモチーフである。女、というからには彼は女しか描かない。
そして女たちは一人として、顔を見せていないのである。顔の見えない女たちの絵。
彼は一連の作品をたった一人の女性のために描いている。
「僕はもう君のことを見たりしないよ。
そのことを、伝えたいんだ。あのひとに。」
彼はそう話した。
見えない女たちは絵の中で、様々なポーズを取りながら皆顔を覆い隠している。
正面から両手を使って塞いでいる。
俯いて片手で塞いでいる。
顔の前に本やスカーフを広げて塞いでいる。
いろいろな方法で女たちは自分の顔を隠していた。
誰一人として顔を見せて居るものはなかった。
「あのひとは僕に見られたくないと言ったんだ。」
絵描きの彼は、昔同じく絵の勉強をしている恋人があった。
絵という共通項があった以上に、二人は互いに刺激し励まし合う仲のよいペアだった。
しかしある時から彼女は、彼をどうしても堪えられなくなったらしい。
何故か。
彼の視線のために。
絵描きは眼の生き物である。
どれだけ豪腕にものを見ているか、という生き物である。見る相手の表も裏も刺すように眺める。特に彼の目線は強烈だ。
彼女はそれに耐えられなかったのだ。
自分にも見えないようなところまで
“自分”
を見抜く彼に対して。
彼女は彼の 見ること を畏れて、それで彼らの日常は破綻してしまったのである。
以後、彼は「見えない女」のシリーズをライフワークにして、成功した。
顔の見えないモデルほど鑑賞者を惹き付けるものもないから。
でもこれは彼からの生涯を費やしたラブレターなんである。
「ほら、僕はもう君のことを見ないよ。」
見ていなくても、見ている。
ずっと。何年でも。
見えない女は彼の中で一種の神になったのである。
破綻と幸福の女神。