表現×言語表現は世界共通の言語だ。であるのに、結局只の一人として意味が正しく伝わらない悲運の言語でもある。しかし例えば表現を“種”と捉えてみる。すると、種はそれを受け取った人の中に、只のひとつとして同じ花、おなじ果物を結ぶことはないのである。表現。非常に奇妙キテレツ曖昧模糊、だからこそまだ希望の余地があるのだろうか。とにかく表現なんかで博打をやろうというのだから、これは生粋の怠け者に違いない。それが私です。