グリーンピースの人が日本の捕鯨船に茶々入れる話を聞くと
ちっ、めんどくせえなあ と
いい気持ちにはならない。
自分には相容れないよその国の文化に、
文句や批判を言うのは微妙な問題だ。
孵る前の雛鳥を卵ごと蒸し焼きにして食べる、
と聞くとちょっとびっくりする。
子牛の頭を丸ごめ煮込みにして目玉が美味
と聞くとおおう、と思う。
日本人が鯛のあら煮を作って目玉の裏側が美味
と言うとヨーロッパ人は天を仰ぐ。
そういう習慣が無いからだ。
でもそれは単に驚いている私にその習慣がないだけであって、
地元の方は普通においしくいただいていらっしゃる。
ちゃちゃを入れるのはとんちんかんだ。
ムスリムの方は開祖の絵姿を作られるのがどうしても我慢ならないそうです。
しかしそういう習慣をもたない我々にはいまちニュアンスが分からない。
かと言って腹立ったからってじゃあ殲滅だ、っていう方が絶対に良くない。
なんで良くないからって言うとあんまりにシンプルな解決策だから良くない。
シンプルな対策はいろんな人に真似される。
だから良くない。
しかしよその文化や習慣に対してあんまりにも無頓着なことに対して、
まったくもって 自由 権利 を歌って憚らないことも
想像してご覧。
と思う。
「自分たちは単に遊んでいただけなんです。」
と言って憚らない、人が死んだあとのいじめっ子の言動に、なんだか似ているなあともりもとは感じました。
もちろんまったく違う話題ですが、
でも主張していることは同じじゃねえかと思ったのです。
フランスの新聞社がムスリムの方に対していじめっこなんだということではない。
しかし一方では侮辱、迫害だと感じて
一方では そんなつもりはない、あくまで表現なんだという。
いじめっこといじめられっこの言い分にかなり類似するではないか。
大の大人が国単位で似たようなことをやっている。
小さな教室の中でも似たような起こっていて、
誰にも解決できない。
話し合う、理解しあうなんて、なんて途方もないことなんだろうと思う、この早朝。