小説「毒婆」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

嘘か誠か、
昔聞くところに以下のような奇談があって。
間者の家系に女の赤ん坊が生まれると、その敷布、衣類、乳、粥などに、極少量の毒物を含ませながら養育する。
すると妙齢に達した頃
その娘はいかな劇薬にも動じない身体になっているが、
その娘と寝床を交わした男はたちどころに毒に殺られてしまうという。
これを伝えて毒娘という。
かのアレクサンダー大王が東方大遠征のときに、現地の女性を用心して遠ざけた理由が
これだったとかなんとか。

とここからが現代の話。
近所に名物、否迷物というべきばあさんが住んでいて、人呼んで毒婆。
ばあさんには一つの信念があってそれは
“なんでも自然のものがカラダに一番”。
自然。自然と聞くとああ身体に良さそうだな、と思ってしまう我々の無知も結構怖いけど。
このばあさんにとって「自然」というのは、そこらへんに生えている草をさしていうから厄介なのだ。
 
確かに蓬、石蕗、湖瑚深、薄、杉名、野蒜に行者大蒜などなど、野草や山菜、昔から食用に耐えている草はあまたあるけれど、
同時に決して口にしてはならない野の植物も、当然のことある。

このばあさんの厄介なことには、
この大切な口にして「良し」「悪し」の判断を
一切しないことなのである。出来ないのではない。しない。悪意があってしないのか。違う。区別という概念がそもそもない。
“なんでも自然のものが一番。”
この信念に基づいて、そこいらの草の「良し」「悪し」を峻別することが、
ない。

なのでしょっちゅうそこんちの孫だの甥御だのが腹を下したり救急車を呼ばれてたりしている。
かなりしょっちゅう病人を輩出している。
あんまりしょっちゅうだから保健所や終に警察から注意が届いたりもしている。

が、ばあさんは一向に草を積んできて炒め物やおしたしにして孫に食わせちゃうんである。
そして救急車が血相かえて飛んでくる。

つまり、宿題をしたがらない小学生にいくら宿題をするよう叱っても
永遠に宿題をするようにならないように、

“身体にいいもの”
という信念で60余年ごりごりに凝固してしまった80の婆さんに、
「それはカラダに毒です。」
といくら解いても理解が及ぶ筈がないのであるという、そのこと。

ところで怖いことには。
孫や甥など、若い世代をしゅっちゅう倒しているような代物を通年食卓にのせながら、当のばあさんはぴんぴんしている。しかもその習慣は今に始まったものでなくて20代の新妻だったころから既に確立されたものだった。

となるともしかして、
ばあさんの体内にはすでにかなりの濃度の植物由来の毒物が蓄積されているのではないのか。
これぞ現代に生きる毒女、いや毒婆。

もし、
今このばあさんと懇ろになったら、相手の男性はどうなってしまうのだろう。
怖いというのは、
年代物の毒素に殺られて昇天することと、
毒婆さんと寝床を分かち合うということと、

さて貴方ならば、どちら?