小説「風祭り」の3 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

定まったら。
と、年上の女たちは言った。
風が手を攫むよ。
真っ暗闇だ。踊りの足はこの一年教え込まれている。どの女も自分の順序を間違えたりしない。光りは無くても距離は測れる。ぶつかることも、裾を踏まれるでもなく、女たちは踊り続けている。

風と。
楽を叩き、ゆらゆらと、同じ手振りを繰り返しながら、いつの間にかそれぞれの女には連れ合いができている。
それぞれの連れ合いと、女は踊り続ける。
「ヨウ、ヨウウ、ヨウ、ヨオウウウ」
と風が鳴った。いや、隣で踊る連れ合いが啼いた。
「ヨウ、ヨウ、ヨウ、ヨウ、ヨウ、ヨウ。」
それはただの風音のようでもあるし、または誘いの言葉なのかもしれない。

三人の娘たちもそれぞれ風に手を攫まれた。
この時、風はもう吹くだけではない。光を通さず音の凝った、軟らかい塊になっている。
ただ蒼だけの塊。それを人の形と見ることもできるかもしれない。海風の精人とでも言おうか。
壇上の女の数だけ、海からそれが上がってきて、相手に決めた女と連れて、わらわらと踊っている。
今年初めて壇上に加わる娘たちは、風が手を取る感覚の不思議を疑っている。
自分はいったい何を踊っているのだろうか。と。しかし確かに何かが自分の手を攫んで、隣に居ることは分かる。そして、
「要。ヨウ、要。ヨウ、要。」
と囁いているのが分かる。
ああ自分は求められているのだ、ということが分かる。必要とされているのが分かる。
さあおいで、こっちへおいで、
と呼ばれているのが分かる、そういう感覚に遊んでいるのは悪くない。
と三人の娘たちは思った。悪くない。こういう感覚は悪くない。

では。
娘たちは思った。
これ以外の感覚とはなんだろう。これとは別の行い方があるとは、いったいどういうことだろうか。
山の麓には麓の暮らしがあるのを娘たちも知っている。年上の女たちも、年よりも、行商の男もそれを言う。
別のやり方も、あるのだ。それは知っている。それは構わない。
でもぞっとしない。
誰かが納得していることを自分も納得して やれ と言われても、ついて行く心も体もどこにもない。
これ以外の方法は考えられない。
と三人の娘たちは思った。

風が云う。
「イザ、誘。イザ、誘。イザ、イザ、イザ、イザ。」
そんなふうに囁いているように聞こえる。風人は隣で踊っている。ぴったりと、離れる様子もなく。
「コヨ、コヨ、コヨ、来よ、来よ、来よ、来よ、来よ、来よ、来よ来よ、来よ来よ来よ来よ来よ」
そう啼きく。肌が冷えるのを感じる。
あ、このひとはかなしいのだわ。
と瞬間に思う。何に悲しんでいるのだろう。この彼らにはどうした理由があるのだろう。
でもその悲しみは伝わってくる。冷え込んでくる身体ともに彼らの無為のかなしみが染み込んでくる。
なあおいで、なあこっちにおいで。
今風はそう言っていた。こちらにおいで。ねえ、こちらにおいで。さあこちらにおいで。ねえこちらにおいで。さあこちらにおいで。

それも悪くない。
と娘は思った。
三人ともに思ったかどうかは分からない。そして他の女たちもそう思ったかは分からない。
それも悪くない。
でも確かにそう思った。そういう生き方ならば、悪くない。それはずっと自分たちの理にかなったやり方だ。
壇上の誰もがそう思った。このまま行くのも悪くない。

コヨ、コヨ、コヨ、コヨ、コヨ、コヨ、コヨ、コヨ。。。。。。。。。
夜の間ずっと、棚の村に風は鳴り続けた。

夜が開けて、祭りが終わり、男たちは檀上に女を迎えに行く。
要らなくなった壇はすぐに片付けたい。祭りを通して疲労した女を休ませなければならない。
祭りの終わりはすぐに分かる。風の音がしなくなるからだ。海から上がってきた風は、また崖下の海に戻っていった。
束の間の春が終わって、また乾いた風が高山から下りてくる。

しかしその朝、壇の上には誰も居なかった。
ところどころにちぎれた四手が落ちている壇上に、その朝だれの姿もなかった。

棚の女はこうして絶えた。