年が明けていたか、いなかったか、とにかく深夜でした。
たまたまぽっかり暇をもてあましてテレビをつけたら、
この時期ありがちなドキュメント番組をやっていました。
途中から見たのでどういう内容かよく分からなかったのですが、
お金もない、仕事もない、頼る身内もない、そんな状況で都会でふらふらしているうちに、
どんどん追い詰められていく、貧乏になっていく、
おそらくは少しばかり心も病んでいそうなおんなのひとを、
どうにかこうにかして軌道にのったく暮らしをさせようと、
奮闘している人たちの物語でした。
ナレーションに曰く、
みんなが、こんなにダメな彼女をどうしてもほおっておけないのは、
自分心の中にも彼女とおんなじものが、あるからなのかもしれない
とかなんとか。
自分にとってはこの一言が衝撃でした。
自分は、その彼女の姿をみても一切胸に迫ってくるものがない。
一介のきたないおばさんであったのです。
(おばさんというには微妙な年齢だったけど、少なくとも若くはない。)
うすうす気が付いていたことですが、
私には生きた人間に対する親愛とか愛着みたいなものがとても希薄です。
躍動する心理というものが無いのです。
まるで血液をもたない肉体のように。
「スプートニクの恋人」
という小説が好きで、何度か引用していますが、わけても印象深い描写に
性欲のない人間にどんな経験ができる?
そんなの食欲のないコックとおんなじじゃない。
大村上春樹のすげえなあというところは例えばこんな文章です。
隙間にぴったりと嵌る言語を削り出すことにはまったく恐れ入ります。
小説を、書こうとするなら人間に対する感情が不可欠だ。おれは殺人鬼なわけじゃない。
人間に対して躍動する血液が無ければ
どうして人間を躍動させる文章が造れるというのか。
私がなにを書いてもきっと誰の心もゆすらないのでしょう。
自分がどんなにしてもうつろがないように。
血液のない、
感情の伴わない人間に果たして小説は書けるのか?
これは2015年を代表する命題であります。
(でも、すぐ忘れる。)