小説「遊びに行く本」 | 文学ing

文学ing

森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

その時代の子供にしては恵まれていた祖父の本棚には
当時は高価な児童小説の全集が山ほどある。
仮名の打ち方が変だったり今と喋り方が随分違うからあんまり手に取っらないのだけど、たまにあまりにも暇を持て余すとその、祖父の図書室に遊びに行く。
洋紙は和紙にくらべて耐久性がおもちゃみたいなんだ、と以前聞いた。表紙もページも見事に茶色くなっている。
「巌窟王」「楓物語」「モヒカンの最期」などと綺麗な文字の背表紙を眺めていたら、一冊読めないものがあったので手にとった。
表紙を開くと、誰が書いたものか(祖父か?)
覚書が記されている、以下に、
『この本は遊び歩く本であります。
知らない間に勝手に外を出歩くのです。
だからこの本をお持ちになった方は、本が急になくなっても、
どうぞ驚かないでください。そしてこらえてください。
この奇妙な出たがりの本は、たまたま持ち主の所に戻っているだけなのです。
続きが読みたい方があれば、
どうぞ空いたページなどにメモなど残してください。
本がまた遊びにいくかもしれません。
自分が郵便で贈るかもしれません。』
と奇妙なことが書いてあった。
遊び歩く本。
もちろん本は遊び歩いたりしない。本だから。
しかしページをめくっていくと、確かにもうかなり薄くなって読めない筆跡でもって、幾人ものメッセージが書かれている。真実ならばおそろしく多岐に遊び歩いたのだろう。余白の書き込みは物語そのものが語る内容よりよっぽど多いと感じられる。
何年何月何日の朝起きたら、私の部屋の枕元にありました。これはそういうわけでしたか。
本が突然舞い込んでくるというのは非常におもしろい体験です。居なくなってしまうとおもうととても哀しい。
次にこの本を手に取る人へ。こちらは何県どこどこ在住、○○と申します。もしよかったらこの出来事についてお話をしましょう。
私は、これだけ沢山の方の手記の残る本ですのに、誰に見せてもいっかな信用を得られません。世に斯なる不思議は確かにあったと。

しかし書き込まれたメッセージの中に新しそうなものは一つもない。
すくなくともここ何年かくらいで書かれたものは無さそうなのである。
ということは、この本はもう遊び歩くことを辞めてしまったのか。本も年をとって出歩くのが困難になったのか。あるいは正式な持ち主を失って、覇気がなくなったからじっとしているのか。
私は図書室からその古びた本を持ち出して、自分の部屋のベッドサイドに置いて見た。
果たせるかな翌朝、
絶対其処ににあった筈の本は影も形も無くなっていた。