小説「ミケランジェロのおしゃれ」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

中途半端な長さの青いジーパンにに、ネルシャツの裾をたくしこんで
きちんとしたベルトを締めていると、
ばかに見える。
ばかには見えないかもしれないが迫害はされる。
米国では自分と毛色の違うひとを見かけると、迫害する。
いや迫害はしないかもしれないが、あらいやだわ、みたいなことにはなる。
見てくれというのは便利なもので、それはいい意味でも悪い意味でも便利なもので、なにが便利かというと選別するために大変便利なのである。
ダーウィンフィンチは嘴のちょっとした違いで別のいきものに選別されてるね。
見た目というのはこれほど大事なのである。同類とそうでないかの峻別のために大変重要なのである。しかしその見た目も運動会の紅組白組程度で済んでいればまだ害がないのだけど。
人生の十何年を学校で過ごしたひとにとっておしゃれというのは死活問題である。特に女性において死活問題である。
だって「おしゃれ」ができないこは迫害されるから。
考えてみよう。
何を好き好んでおしゃれでないこと仲良くしたいだろうか。できればおしゃれなこと仲良くしたいに決まっている。
だが、やってみたひとなら分かることだけどおしゃれというのはやればやるほど分からない。
おしゃれってなんだろう???
学校の十数年を過ごしてきて選別のためのおしゃれに追随しつつ結局
おしゃれってなんだ???
のまま未だに足が止まっている。
おしゃれというのは泥沼みたいなものである。ともかくおしゃれの最大宗派には乗っかっていなくてはならない。しかし「最大宗派」というのがすでにおしゃれの反義語である。それにどうにかごまかして乗っかっているおしゃれは、
すぐばれる。
結局は迫害の対象になってしまう。まったくもう、だ。
おしゃれは考えるだけ悲しくなる出来事だ。宇宙の果てには答えがあるけどおしゃれの明日に答えはない。
これがおしゃれだ。なんでおしゃれだ。おしゃれだからだ。禅問答か。
だからこう思うことにした。おしゃれは装いでなく、トルソーなのである。何を誰が装っているかじゃなくて、誰がどう装っているのかなのだ。だからおしゃれなひとってただおしゃれなのだ。全裸で立っててもおしゃれなのだ。
ミケランジェロのあの彫刻みたいに。ほら立ってるだけで世界一のおしゃれ。
努力でなんとかならない問題はある、という時努力の程度を語りたくなるけど、努力の可能性と合理性を語ろうとすれば私の言葉は冷たく荒む。
ミミズに生まれましたがどうにかしてライオンになれませんか?
いろいろ手を加えたらライオンにはなれるかもしれない。遺伝子を変異させるとか、組織を移植させるとか。でもそれはとても無駄ななことでしょう。ちょっと極端なたとえになった。
おしゃれは生まれつき決まっているものなのだ。
生まれた時からおしゃれじゃなければ、たぶん死ぬまでおしゃれでないのだ。
時には体制におもねることも別にひねくれた生き方ではない。