ノーベルノーベル言って | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

そういえば今週は
夜のニュースが一貫してノーベル賞の話題ばっかりでしたな。
前回山中先生が受賞なさったとき、ここまでしつこくマスコミが追っかけただろうかと、いぶかっていしまうくらい

ノーベルノーベルいいみゃあってよお!
(意・言いやがってこらあ。 郷土の言葉)

な一週間でありました。
日本の三先生についても過剰な反応だったのですが、
やはり今回受賞者の白眉と言うとパキスタンのあの彼女でありましょう。

「教育には未来がある。」
高校の時学校行かずに出席日数足りなくなっていろんなことを誤魔化して卒業したもりもとにすれば、耳の痛い言葉です。

教育には未来がある。
これには確かに一理あると思う。でも考えてみる。今自分はそのいわゆる
未来
に立っているのではないのか?

日本で普通教育制度が開始になったころも、就学年齢児は寒村にとって貴重な労働力で、勉強なんかやらせてられっかの時代でありました。
怒ったおっさん方が鍬もって校舎を叩き壊した時代ですね。
もりもとの祖父に頃になってもまだ、
「百姓の子に勉強は必要ない」
と言われておじいちゃんはそれこそ 蛍の光みたいに 夜中隠れてこっそり勉強して必死で旧制中学に行ったんだそうです。

状況はいささかも異なりますが、貧困、それによる労働力としての必要から
学校に言って勉強できない子供がうじゃうじゃいる。
字が読めるようになったら、学位が取れたら、資格が取れたら、外国語を習得できたら、
そのチャンスがあったら
今の生活は劇的に変わる。

そして私は劇的に変わった未来に今いるのだ。
同じ時間軸の中でタイムラグが起きている状態です。
学校にいけない彼らの未来に立っている私の現状はどうであろうか?

学校には行ったけど、
医者になれたわけじゃなかった
科学者になれたわけじゃなかった
人の役に立つ仕事につけたわけじゃなかった
宇宙飛行士になれたわけじゃなかった
学校に行って勉強したって何がどうなったというわけでもなかった。

これが今の私とあなたとまた違うあなたの現状であるはずなのです。
今学校行ってないインドやブラジルの子供たちは、
学校が未来だからこそ未来の先になにがあるのか知りようもない。
私は未来の先にもう来てしまった。
未来の先にあるものは、みんなに平等な訳じゃない。
能力だろうが運だろうが、とにかく平等な筈がない。

おそらく、今から50年後に30歳を迎える第三世界の子供の中から、
学校に行ったってなんにもならなかった!!
といじける人材が現れ始めるのではないでしょうか。
だから2035年に生まれる子供達の如何によって、
人間の歴史というのがいっちょあがりになるのではないかな。
これがもりもとのつたない頭で考える未来予測であります。

6歳の子供が丸一日働いてやっと30円稼ぐと聞くと私は自分との落差について恥たい気持ちになります。
でもちょっとまて、
別にもりもとだってそんなに幸せに生きているわけじゃない。
お金も家もいつなくなるか分からない。そうなった時に一人で生きていける保証もない。

おれはそんなに全うな人間ではない。
ひとんちの不幸に関心してないで、
自分もちゃんとふしあわせなことに
もっと自信を持っていいんじゃないか

あなたとあなたと、また違う、あなたも。