僕は幸せにでもなることにした12 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

 その日の工場は混乱していた。近頃で一番の大規模なミスが発生したのだ。

 受注した人間が間違えたのか、伝票を打ち込んだ人間が間違えたのか、出力の時にアクシデントがあったのか、とにかく予想に無いくらい商品の数が狂っていて、送り返された雑誌の始末とか電話での対応とか犯人探しとか、に平行して通常の作業をした。

 こんなときでも機械は常のごとく動くから立派だ。僕は肩越しに怒鳴られながら稼動するレーンを見ている。立ち止まることもなく、迷うこともなくそれは動いていた。

しかし僕が知っていた何人かの友人はまずもってこれを嫌悪した。これとは何か。機械のような生き方。

「そんなふうに生きるなんてやってられねえよ。」

 毎日同じことをして、言われたとおりにしたがって、それを何十年も。そんな人生まっぴらだと言う。高校のクラスメイト、大学の同級生、人づてに知り合ったその場かぎりの「ともだち」。

 でも僕はこんな風に、予定に無いアクシデントがおきて人間が右往左往していると激しく思うのだ。こういう生き方が美徳であったんだよ、と。こういう生き方。つまり、機械みたいに生きること。

 何かが起こるのが問題じゃない。自分がやるべきことをするということ。かっこいいじゃないか。

 それに今では機械みたいに生きたとしても、なにも物みたいに扱われるわけじゃないと僕は思う。人と物が同じ意味の時代もあった。過去の出来事、奴隷。

 でも今は違うだろう。機械でも大事にされる。油をさしてもらったり、螺子の具合をみてもらったり。それは幸運なことでもある。

 機械みたいに生きたくないという割には機械ほど役に立つ人間は少ない。だからこそこうして大規模工場生産という方法が定着しているんだ。

 と僕は考えているのだが、二メートル向こうでは係長がむかむか怒り飛ばしていて、主任級が一斉に頭を下げていた。

 という勤務を終えて僕は自分の家に帰って来たのだった。寝たものなのか、そうでないのかはっきりしない。疲れすぎて意識が跳んだ感じ? ともかくも布団の上にはいた。

 時間と言うなら昼過ぎ。午後二時になるころだった。この前食べたのがいつで何を食べたのか思い出せない。家に帰ってからはなにも口に入れていないと思うけど、それにしたらお腹が空いていないな。

 いや、僕はどうも最近意識しないと空腹にならないような気がするんだ。つまり、

よし、腹が減っているということにしよう

 と思わないと食欲が湧かない。そのために食費がかからないのだが人からはガリガリだと言われる。

おいしいものを食べられるようになったら僕は幸せだろうか

 僕はまた裏の白い紙に書いて、壁に貼って見た。おいしいものか。それは一体なんなんだろう。どこに行けば食べられるんだろう。名古屋だろうか。東京だろうか。イスタンブール、パリ、ローマ。しかしニューヨークでないことは確かだ。

フランス トルコ イタリア

 と横に書き足した。

 そしていつ入れられたのか分からない手紙が郵便受けに入っていた。僕の郵便受けに何かが入っていることは滅多にない。まずない。新聞も取っていないしダイレクトメールもポスティングもここまではこない。手紙が入っていること自体珍しいのに僕がその手紙に気が付かなかったのも不思議だ。それをもし手紙というのなら。

 よくこれを配達したな、と思うような封書だった。まず、封書ではない。

 A四用紙を横半分に折って三辺をテープで閉じて、表に宛名書きしてあるだけなのだ。切手が貼ってあるし、番地は僕で間違いない。郵便物として問題はないのかもしれないが郵便屋さんは困惑しただろうな。瀬尾さんからだった。

 僕は、瀬尾さんに住所なんて教えたっけ、と思った。思い出せなかった。

 教えてあげるから、レスをちょうだい、とは言われたんだけど、そういえばどんな風に報せあってどんなふうに報復しあうんだか何も話さなかった気がするんだが。あるいは酔っ払っていて覚えていないのかもしれない。僕は疲れていたし時間も悪かった。何もかも忘れていたとしてもおかしくはないのだ。

 テープは三辺の端から端まできっちりと貼られていたので、ほかにどうしようもなくて僕は鋏を使ってA四紙の横五ミリほどを切り取っていった。持ってみた感覚を信じられるなら、この中に別の書紙が挟まれてることはない。

 三辺切り取って畳まれた紙を開いてみたら、案の定手紙はその中に直接書き込まれていた。走り書きだったのかこういう字なのか、横向きに引っ張られたみたいな汚い字だった。こういうことが書いてあった。

『今日いつも寄る、

そんなに流行っていないカフェでコーヒーを一杯だけ飲んでいたら、

試作品ですからどうぞといって焼きたてのケーキをもらいました。

チョコレートのケーキでした。チョコレートでいったいどんなふうに

焼いたのか分からないけど、

とにかくケーキでした。さくさくしてました。

さくさくというかいっそほくほくしてました。

こういうことがあったときはしあわせでしょうか?』

 正直これが瀬尾さんから届いたものかどうかまったく分からない。この内容の文面と、僕の番地しか書いて無いんだから。

 でも状況的に瀬尾さんしか考えられない。僕は瀬尾さんから来た手紙を三回読んで壁に貼り付けた。

思いがけずなにかをもらったりしたら幸せを感じるだろうか

 自分でも裏の白い紙に書いて隣に貼り付けてみる。素材の違う二種類の紙を手で触れてみながら、僕は、それも悪くないけど、と思う。

 それも悪くないけど、どうせならもっと分かりやすく幸せになりたいもんだな、と思った。