「僕は幸せにでもなることにした。」1 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

 

朝だ。もう充分だ。充分朝だろう。僕は思った。

空は青い。雲は白い。所々ねずみ色だけど、それにしたって色が分かる。世界は光で満ちた。朝が来たのだった。英語を使うと、ハブ、ビインでいいのだろうか。すでに朝になっていた。英語は苦手だ。曇り空だった。

 昔大学のゼミ室に、

「雲は天才である」

 という短冊があったのをふいに思い出す。キャビネットの柱の穴ぼこに、フックでかけてあったと思う。石川啄木の言葉なんだそうだ。石川啄木のことを、誰が好きだったのか分からない。僕が大学に入る以前からそこにあったらしいから。つまり誰が書いた短冊か分からないということ。石川啄木が何を思ってそう語ったのかも分からない。

 ただ僕はそれに対して、

「雲が天才なんじゃない、空が天才なんだ。」

という感想を思った気がする。大学に在籍していた頃のことだ。

 そしてそれから何年かの後、

「どっちにしたって同じことじゃないか。」

と思ったようにも感じる。おんなじことじゃないか。空とか雲とか、注意せずに生きていくんだったら。この二つのことを思ったのは、どっちみち昔のことだ。十年。

 ともかくも朝だ。僕の住んでいる街の空は凄まじい。空気が澄んでいるからだろうかと思う。人口が少ないと須らく自動車の数が少ない。あまつさえ最近電気自動車に乗る人まで居るのだ。空気が汚れる余裕というのが、無いのかもしれない。

 そして雨が多い。海を越えてやってくる湿気がごっそりと落ちて行く処なのだ。一山越えると嘘みたいに晴天になる。そのくらいあからさまに、かさ張る湿気を落としていくのだ。大陸から海を越えてやってくるのは、そんなにも大変なのだろうか。彼らに山を越える意欲はない。

 時期にもよるけどものすごくこわばった雲を良く見かける。「こわばった」と言ってしまうのは、本当にそんな感じだからだ。

 触れることが出来そうなのだ。質感がイメージできる。なんていう技法だろう、ガラスに鑿の刃を当てて、透明なところをわざと白く濁したような彫刻。あんな感じに近い。

 恐ろしいくらいの雲が居ることがあるのだった。でも今朝はない。雲と分かるあたりは曖昧なねずみ色に染まっているだけだった。雲というより、煙みたいに。しかし、今日の朝久野と言う話題は特に重要ではない。とにかく朝になっていて、そして顕れていく雲を見ていたら、この街の凄まじい雲もついでに連想したんだ、というそのこと。

「よし。」

 僕は思った。二九歳になった朝なのだった。朝で間違いないのならば。時間を確認していないのではっきりとは分からない。しかしそういうのなら、朝になったことについての正確な定義も、僕は知らない。

 僕は幸せにでもなることにした。