「ああ。掛かってますね。確かに。」
「ああやっぱりですか。」
「やっぱり附いておりましたか。で、なんの咐呪?」
「今から調べまーす。」
戦後直ぐに、新興宗教の一大群生が起こった。
今はもう名残もないけど、国がひとつ焼き尽くされて体制と既存の価値観が徹底的に破壊された。その衝撃は凄かった。
破壊するにしても遠慮が無さすぎる。何を足で踏んでいるかもよく分かってない人間が、人もそれ以外も踏みあらしたんである。衝撃が凄かった。
反動だった。
歴史と文化が0地点に来たとき、反動で即席の宗教が山ほど生まれたのだった。
「多分その中のどれかですねー。」
私はタッチパネル端末を使いながら、該当しそうな宗教団体の情報を探す。
「僕、少し休憩してもいいかな。」
後ろでお医者さんが言うと、
「ええ、構いませんよ。どうぞどうぞ。」
と死神が促した。
お医者さんはコーヒーマシーンから紙コップに飲み物を汲むと、パイプをぎしぎしと言わす。
死神もなんとなく並んで座った。
「しかし厄介なこともあるもんですな。」
「はい。お互いに。」
終戦の時大体十才程度だった方に、時々妙な呪いが掛かっていることがある。
呪いと言うと不幸を呼ぶものに聞こえるから、祝福と言った方がいいかもしれない。
‘どうかこの子が死ぬことがありませんように’
親の願いとしてまったく善良だ。
まして夫や親を徴兵で亡くした後でもある。なんとしてもこの子だけは、と思う母親が、たくさん居た、それが普通でそういう時代だった。
が、時折、
‘やけに強力に’
祝福されているひとが見付かる。
何故見付かるかと言うと、寿命が尽きる時が来て死神が迎えに出かけても、祝福に邪魔されて死ぬはずの老人に近付けないのだ。
集中治療室に何年もはいっていて、ぴらぴらのフィギュアみたいになっているにまだ生きている。
病院も困る。
死神も困る。
だから死神が病院に自己申告するようになったわけなのだ。
「この人わたしを弾くんです。」
そこで私が呼ばれる。
張り付いている祝福を取り除かないといけないから。
「剥がれそうですかねえ。」
後ろから死神が情けない声で訊く。
私は調査が進まなくてイラついていたから、
「だいたい高々人間の附けた呪詛に押し負けるなんてあんたがたも情けなくないですか。」
嫌みを言った。
すると死神は、
「そんなことありません。我々の立場はとても弱いのです。
人が人を生かそうとする意志に対して、容易く負けるのです。
それが証拠にあなたがた、寿命がどんどん長くなってるじゃないですか。」
それもそうだな。
と私は思う。しかしこの呪詛はなんだってこんなに仕組みが複雑なんだろうか?